2022年1月27日(木)

2022年1月27日(木)


『自分のいのちのことで……心配したりするのはやめなさい。』マタイの福音書6章25節


繰り返されなければならない警告がある。

「この世の思い煩いと富の誘惑」や、種々の欲望は、やがて私たちの中にある神のいのちを窒息させてしまう、という警告である。

この波状的な侵攻を逃れるすべはない。

もし衣服や食べるものに関わる攻撃でなければ、金銭があるかないか、あるいは味方がいるかいないか、または困難な状況に関わる攻撃かもしれない。

その侵攻はやむことがなく、神の御霊に戦旗を掲げていただくのでなければ、やがて私たちの中に洪水のようになだれ込む。

「自分のいのちのことで心配したりするのはやめて、ただ一つのことだけ、すなわち、主との(正しい)関係を保つことに留意せよ」と主は仰せられる。

ところが、私たちの常識は大声で異議を唱える。
「それはばかげている。
これからどうやって生計を立てていくのか、何を食べ、何を飲むかを、よく考えなければならない」と。

ところがイエスは、そんなことをしてはならない、と仰せられる。
主は私が置かれている固有の状況をご存じないからそう言っておられるのだ、と考えてはならない。

イエス・キリストは私たちよりも、私たちの固有の状況をよくご存じのうえで、それらが私たちの人生の第一の関心事になってはならない、と言っておられるのである。

人生の関心事が互いに譲らないときには、どんなことがあっても神との関係を優先しなければならない。

「苦労はその日その日に十分あります」と主は言われた。
今日、どれくらいの苦労があなたを新たに脅かしているだろうか。
どのような意地悪い小悪魔が、あなたの生活をのぞき込み、「来月の計画、今度の夏の計画は立っているのだろうね」とささやいているだろうか。

「心配は無用である」とイエスは言っておられる。
新しい目で見直してみよ。
天の御父が「もっと良くしてくださる」と言っておられることに心を留めるのだ。

God Bless You!!


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