2022年1月13日(木)

2022年1月13日(木)


『さて、イエスだけになったとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人とともに、これらのたとえのことを尋ねた。』マルコの福音書4章10節


神が、苦しみ、傷心、誘惑、失望、病気、またはかなわなかった願い、破綻した友情、あるいは新しい友情を用いてさえも私たちを孤独に、しかも完全に孤独にされると、私たちはただ呆然とし、一つも質問することさえできなくなる。

するとそれを見計らっていたかのように、神は私たちに解き明かしを始めてくださる。

イエス・キリストが十二弟子をどのように訓練されたかに注目せよ。
当惑したのは、外にいた群衆ではなく弟子たちであった。

弟子たちは主にひっきりなしに質問を投げかけた。
そして主も絶えず弟子たちに解き明かしをされた。
しかし、弟子たちが理解できたのは、聖霊を受けた後のことであった。

あなたが神と旅路を続けていくなら、あなたにはっきり分かるただ一つのこと、また神がはっきりさせようとしておられるただ一つのことは、神があなたのたましいをどう扱われるか、ということだけである。

他の人々の悲しみや当惑の数々は、あなたにとって訳が分からないものである。
他の人が何に苦しんでいるか分かるように思ったとしても、自分自身が神から悩みを与えられると、本当は何も分かっていなかったことを知る。

実に、私たちそれぞれの中に、聖霊によって明らかにされなければ分からない頑固さや無知の領域がどこまでも広がっていて、イエスが私たちを孤独にされないかぎり、それを教えていただく機会はないのである。

あなたは今、キリストと二人だけになっているか。
それとも、些細なことに関するこだわり、仲間とのやりにくさ、あるいは健康状態に関する心配で頭がいっぱいだろうか。

私たちが自分の頭を悩ませることをやめ、キリストと二人だけになるまでは、イエスといえども、私たちに何も解き明かすことはできないのである。

God Bless You!!


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