2022年1月12日(水)

2022年1月12日(水)


『ご自分の弟子たちには、彼らだけがいるときに、すべてのことを解き明かされた。』マルコの福音書4章34節


イエスは私たちだけを残して、すべてを解き明かしてくださるわけではない。
私たちの理解力に応じて解き明かしてくださるのである。

他の人々の人生は、私たちが参考にすべき実例である。
しかし神は、私たちが自らのたましいを点検するように求めておられる。

それは時間のかかる作業である。
あまりにも時間がかかるので、みこころにかなう者になるには、永遠という時が神に必要なほどである。

私たちが神に用いられるためには、自分という人格の深く隠された領域を神に示していただかなければならないからである。

私たちが自分自身に関してどれほど無知であるかは、愕然とするほどだ。
自分の中にひそむ妬みや怠惰、また高慢を見ても、それと認めることすらできないのである。

しかしイエスは、その恵みのみわざを始める前に、私たちが心の中で固く握りしめていたもののすべてを明らかにしてくださる。

しかし私たちの中で、いったい何人が勇気をふるって自分の内面を見ることができただろうか。
自分のことは自分が一番よく知っている、という考えは捨てなければならない。
そのような考えは、うぬぼれの残滓である。

私たちを分かっている御方は神以外におられない。
私たちの霊的生活の最大の元凶はううぬぼれである。

私たちがたとえ一瞬でも、神の目に自分がどのようなものであるかを見ることができたら、「私は神に全くふさわしくない」とわざわざ言うことは決してないだろう。
そのようなことは、改めて言うまでもないことだと分かるからである。

自分が本当に神にふさわしくないのだろうか、と少しでも疑っていると、神は私たちを追い込んで、ひとりにされる。
高慢やうぬぼれがわずかでも残っているかぎり、イエスは私たちに何も解き明かすことができないからである。

私たちの知的高慢が傷ついて、悲痛や失望を味わうのを、イエスはあえてお許しになる。
イエスは私たちの間違った愛情や欲求の数々を明らかにされる。
まさかそのようなことが理由で、神と二人だけにされるとは思わなかったような事柄である。

多くのことがすでに教えられたはずなのに、さほどの効果はなかった。
しかし、それらについて神が私たちをひとり残されるなら、すべてのことが解き明かされる。

God Bless You!!


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