2021年4月5日(月)の手紙

2021年4月5日(月)


『神の国を宣べ伝え……。』ルカによる福音書9章2節


第9章は、マタイ伝、マルコ伝との並行記事がほとんどである。

「神の国を宜べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして」と書いてあるが、これは私たちに二つのことを示している。
一つは、神の国を宣べ伝えていくこと、もう一つは神の国は近づいたということを伝えていくことである。

病気をいやすということは、神の力によって愛の業がなされることであるから、神の国を宣べ伝えることなしに、病気だけをなおしてもしかたがない。
神の国を宣べ伝え、そして病気をなおすところに、病気のなおったほんとうの意味がある。

その人がわずらっている病気をなおすのは、病気をなおすことではなく、神の国の要員として力強い働きができるようにすることが、本当のいやしなのである。
だから何のために生きていくかという、人生の目的を教えないで、ただ病気をなおしても、それは救いにはならない。

肝臓が悪い人は肝臓の悪くない人がうらやましい。
しかし、私は肝臓が悪くないと言って、喜びにあふれている人を見たことがない。
つまり、人はただ健康であるとか、体に故障がないとか、若いとかということだけでは、生きる喜びは見いだせないのだ。

今日の人たちが、生きがいを感じないのは、生きる目的がないからである。
人生そのものに、ほんとうの目的がない。
ただ行き着くところは棺桶であり、ひと握りの灰である。

ますます元気になり、力強くなっていくのではなく、逆に、ますます弱くなり、何もできなくなってしまう、そんな人生の方向というものは、悲しいものではないか。

長生きが必ずしもうれしいこととは言えず、ただ人間の生理的な生命だけを長引かすことがすべてだと思っているところに、私は問題があると思う。

老人福祉などで問題の解決ができるものではない。
生きる目的が与えられず、ただそういう生活を繰り返すだけであったら、それは意味のないことである。

そういうわけで、神の国を宣べ伝えることが、非常に大事な仕事であることを忘れてはならない。

当然のことであるが、教会でなければ言えない、教会でなければ聞かれないのは、神の国が近づいたという宣言である。
この宣言こそが、ほんとうに人々を生かし、人々に生きる目的を与えていくものである。
私たちは、この福音を伝えていくことを、非常に大きな使命であると感じていかなければならない。

God Bless You!!


a:52 t:1 y:0