2021年3月23日(火)の手紙

2021年3月23日(火)


『あなたは神の国から遠くない。』マルコによる福音書12章34節


サドカイ人、律法学者たちは、当時の進歩的な知識人であり、宗教的な知識、議論にたけていた。

イエスが「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」と言われたのは、神が議論の対象ではなく、具体的に私たちを救い、慰め、約束を成就し、あるいは、私たちに迫ってくださる神であるという意味である。

そうした神との交わりなしに、神、キリストについて議論だけしている人がいまでも非常に多いと思う。
またいまのキリスト教会は、神そのものよりも、神について知ることに力を入れているように思える。

しかし、ほんとうにたいせつなことは、神ご自身に出会った体験、十字架との出会いなのである。
カルバリで十字架についてくださったイエスは、私のために死んでくださったということを議論や知識で納得するのでなく、人間がどんなに努力してもぬぐうことのできなかった罪が、あの十字架によってぬぐい去られたという原体験こそがたいせつなのである。

それがなければ、私たちの信仰はただ議論を楽しむことだけに終わってしまう。

私の友人が網走刑務所で死刑囚と面談したときに、その人は、「自分には神を疑う余裕はない。
いつ死ななければならないのかわからないところに立っている自分には、イエスの十字架にすがるよりほかに道はない」と言ったそうである。

この人にくらべて私たちはなんと気楽な安全地帯でいろいろのことを口にしていることか。
ここに私たちの信仰のひ弱さの原因があるのではないだろうか。

34節に「あなたは神の国から遠くない」と書かれている。
これは、神の国というものがだんだんと近づいてきて、もう少しで来るよというものではなく、悔い改めたなら、そここそが神の国であるということなのだ。

イエスが律法学者に対し、神の国は遠くないと言われたのは、それを知識として納得するのと、神の国に入ることとは関係がないと示されたのである。

神の国は知識の問題ではなく、そこに入らなければ、知ることができないものである。
イエスはいつもひとつの決断を促される。

God Bless You!!


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