2021年2月27日(土)の手紙

2021年2月27日(土)


『そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。』マタイによる福音書16章18節


13節からは、シモンペテロが、イエスはキリストであると告自した有名なところである。

イエスは、わたしをだれと言うかと聞かれた。
ある人はバプテスマのヨハネだと言い、またエリヤ、エレミヤなどであると言っていると弟子たちは答えた。

これらの人たちは預言者であって、神の言葉を聞いた人たちである。
しかしイエスは、神のところから来られたかたであり、預言者ではない。

ペテロはそのことを言った。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」

神の教えを聞いたり、教えたりする宗教家ではなく、神から遺わされた神の子である。
その告白をイエスは求められたのである。
その告白をペテロが代表して言ったのである。

それでイエスは、「あなたはさいわいである。
あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」と言われた。

この告白は、血肉でなく、知恵、努力、人からの教えによるものでなく、天にいますわたしの父からであると言われたのである。
その意味では、イエスを神の子と告白することは、神からのものを受け取っていくこと、受けとることによってはじめて、応答となっていくのである。

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」。

ペテロとは岩という意味で、この岩をペテロ個人にするか、ペテロの告白とするかによって、解釈は変わってくる。
カトリック教会は、この岩をペテロにしたわけである。

私は『教会づくり入門』という本のはじめのところで、教会をつくるのは神、イエスであって、私たちがつくるのではないと記した。
これは非常に大事なことと思う。

教会というのは、召し集められた者で、集まってきた者の群れではない。
教会の中にはあんな人が教会員かと思うような人がいるかもわからない。
しかし根本的にはどんな人であろうと、神が召し集められた人であるということを受けとっていくのである。

教会は二千年の歴史を持つが、幾度も迫害を受け、また抹殺されようとした。
しかし、その暗い力に打ち負かされることはなかった。
神がイエス・キリストにあって召し集められ、私たちを遣わされるという教会であるがゆえに、私たちの教会は神によって保たれてきたのであり、これからも神によって保たれていくのである。

ここに私たちが教会を愛し、教会に属することに大きな意義を見いだしていくゆえんがあると思う。

God Bless You!!


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