2021年2月21日(日)の手紙

2021年2月21日(日)


『イスラエルの家の失われた羊のところに行け。』マタイによる福音書10章6節


第10章は12使徒の選任と派遣ということがおもな記事である。

「そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった」とある。

弟子の中から十二人を選んで使徒とした。
使徒とは、遣わされた者という意味で、ある人の代理人として、その人の持つ権威のいっさいを付与された者、言うならば大使のような者である。

全権大使といわれる者は、その国の全権を付与されて行くのであり、彼がそこでサインをすることは、本国がサインをすることである。
彼がそのところで語ることは、国を代表して語ることである。

12使徒は、イエスの権能、権威を授かって、イエスの御業を遂行していく者である。

今日その12使徒の権威を受け継ぐ者は信徒一人一人であると受け取ったのが、プロテスタント教会の万人祭司主義である。
聖職として、牧師と信徒を別であるとするのでなく、信徒もまた神から権能を与えられている者であるという立場で、信仰生活を送っていくのである。

今日私たちは使徒の使命を受け継ぐ者であるから、その使命に生きていくことが大事である。
信者は牧師ではないから別に一生懸命しなくてもよいなどと思うことは許されない。

「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」。

ある注解書には、これは神の大きな一つの愛の矛盾であると書いてある。
なぜ異邦人の道、サマリヤの町に行ってはいけないのか、これはよくわからない。
しかし、言いうることは救いはイスラエルから始まるのだから、イスラエルがととのえられなければ救いは全世界に及んでいかない…そういう意味でイエスはこのことを言われたのであろうと私は考える。

たとえば今日の教会でも、信仰から遠かっている「卒業信者」がどこの教会にもいる。
そういう人に伝道することは非常にむずかしい。
全然信仰について知らない人に伝道するほうがやさしい面がある。

伝道は、内側の人に対してはできにくいものである。
イスラエルの家の失われた羊ということをこのように考えることもできるだろう。

また今日、教会の外への伝道がやかましく言われているが、内側の教会の霊性の高揚こそが大事ではないかと思う。
教会の霊性が高揚されるなら、人々は喜んで教会に集まってくるのではないか。

今日の人々や、世界や社会に問題があるということは、すなわち私たちの教会自身の中に問題かあるということではないか。
そういう点で、内側の教会が清められていかなければならない、それもまた失われた羊なのである。

God Bless You!!


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