2021年2月20日(土)の手紙

2021年2月20日(土)


『すると彼は立ちあがって…』マタイによる福音書9章9節


9節から、マタイの召命のことが記されている。

「わたしに従ってきなさい」というのは、ギリシャ語では『アコルーセイ・モイ』の二語である。
この二語から、当時人から最も嫌われていた取税人という職業に従事していたマタイが、神の僕となり、最も偉大な御用をする起点となったのである。

何か多くのことを学び、多くのことをしたらイエスの弟子になれると思いやすいが、「わたしに従ってきなさい」という起点に従っていくかどうかこそが、大きな問題なのである。

「すると彼は立ちあがって」とあるが、そこに死んだ人間が生きた人間に変わる起点があったのである。

取税人である彼が収税所に座っていたというのは、忙しく仕事をしていたということである。
そういう忙しい仕事をしている彼に、わたしについてきなさいと言われた。
そのとき彼は立ち上がった。
ほんとうに立ち上がらなければ、イエスには従っていけない。

そこには、古い生活から、この世の生活から別れることなしには、新しい生活は生まれてこないことが示されている。

わざわざここで「立ちあがって、イエスに従った」と書かなくても、イエスに従ったとだけでもよいわけだが、「立つ」という言葉を使っていることの中に大きな意味がある。

私たちがいつまでも古い生活、この世の束縛、肉欲などでがんじがらめにされている生活をしていたのでは、イエスから『アコルーセイ・モイ』(わたしに従ってきなさい)と言われても「ついていきたいがだめです」と座り込んでしまう。

立ち上がることなしには、従いえない。
そこにまず最初の厳しい道があるのだ。

私は開拓伝道を始めたときから早天祈祷会をしているが、最初は金曜日だけ行っていた。
一週間に一度というのは、毎日するよりしんどいものである。
寝室に横たわったまま、スーッと行って説教をし、またスーッと寝室に動いて帰れたらどんなに楽だろうと何度も思ったことがある。

しかし、それでは早天祈祷会は決して守れない。
『アコルーセイ・モイ』(わたしに従ってきなさい)という、イエスの言葉に従っていくことはできない。
まず自分がしっかりと立ち上がらなければ、新しい世界を呼吸することはできない。

God Bless You!!


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