2021年2月12日(金)の手紙

2021年2月12日(金)


『アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。』マタイによる福音書1章1節


マタイによる福音書は、ユダヤ人に対して、イエスはキリストであることを宣べ伝えるために書かれた福音書である。

ユダヤ人は、非常に系図を重んじる民であった。
またユダヤには、キリストはダビデの子孫から生まれるという預言があった。
イエスが神の子であることを示すためには、その由緒を示さなければ、ユダヤ人はイエスをキリストと信じることができない。

そこでマタイは、最初にイエスがダビデの子孫であることを証明したのである。
それは単にダビデの子孫であるだけでなく、イスラエルの始祖と言われるアブラハムにまで通じる流れを持ったかたであることを、系図をもって証明したのだ。

ところが、この系図の中には四人の女性の名前があげられている。
第一は、不倫をしたタマル。
次は、遊女であったラハブ。
そして、貞淑な女性であったが、異邦人であるルツ。
最後は、夫の留守中に姦淫の罪を犯したウリヤの妻バテシバ。

それぞれに問題を持った女であっ

聖書では、パンの奇跡のところでも、女と子どもを除いて五千人と書いてあるように、「女・子ども」は数の中に入れられなかった。
その数の中に入らぬ者のうちの、しかも、不倫の女、異邦人の女などが、聖なるアブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストの系図の中に入れられているということは普通では考えられないことである。

しかし、そこにこそ福音があるのだ。

イエス・キリストによって、罪ある者も、数に入れられない者も、すべてイエス・キリストの系図の中に入れられるようになったという福音が、ここで語られている。

系図の中に、福音そのものが証しされているのだ。

数の中に入ることのなかった人、自分が過去に犯した汚名がいつまでも消えず、その汚名の中に減んでいかなければならないような人が、イエス・キリストのゆえに栄光ある者とされるのである。

私たちはみな数に足らない者である。
しかしそういう私たちが、イエス・キリストの系図の中に入れられている。
まさに、私がラハブであり、ルツなのである。

イエスがいてくださらなかったならば、罪ある一人の人として滅んでいくしかなかった私が、今日神の民として神の国の名簿の中に名を記され、神のご経論の中に一つの立場を与えられている。
なんと幸せなことであろう。

あなたもこの系図の中に入れられている。
そのことを覚えて、数に入らぬ者であった自分にとらわれるのでなく、その自分を救い、清め、そして今日の時代に用いようとしてくださる神のゆえに、自分をいつもたいせつにし、自分を見つめていく者でありたいと思う。

God Bless You!!


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