2021年12月5日(日)の手紙

2021年12月5日(日)


『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』ルカの福音書23章43節


主イエス・キリストが十字架につけられたとき、その両側にふたりの犯罪人が十字架につけられました。
そのひとりはキリストを口ぎたなくののしっていましたが、反対側のひとりは祈りました。

「イエスさま。
あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」と。

私たちはみな、神によって造られた者です。
しかし神から離れたとき、私たちはみな罪人となったのです。

どのように表面が正しく見える人でも、道徳的に非難されることのない人でも、神から離れているときには、神の御前で罪人なのです。

「義人はいない。ひとりもいない」と、ローマ人への手紙には書かれています。

キリストをののしっていた犯罪人も、その人とともに罪の生活をしていた、もうひとりの男も罪人でした。
そして、罪はその人を死に至らせるのです。

「罪から来る報酬は死です」。

しかし、この犯罪人がイエス・キリストを仰いだとき、彼は犯罪人の仲間より救い出されてキリストとともに、天のパラダイスにはいることができました。
そのとき、キリストとともにある生活に移されたのです。

「あなたはきょう、わたしとともに」と。

イエス・キリストの十字架は、私たちを罪の中より救い出し、キリストとともなる人生に入れてくださるものです。
それは、人間の何らかの働きや行為によるのではなく、ただイエス・キリストの十字架のゆえです。

これを恵みといいます。
私たちはイエス・キリストの恵みによって、このように変えられるのです。
これは何と驚くべきことでしょう。

この恵みは、第一に、ただ信じることによって与えられます。
十字架上の犯罪人には何の行為も許されませんでした。
しかし、信じることができたのです。
これはだれにでもできることです。

第二に、それは、瞬間に与えられる恵みです。
犯罪人は死の直前に信じました。
私たちは今も、信じ仰いだときに救われるのです。

第三に、それは、だれにでも与えられる恵みです。
十字架の刑罰は、当時極刑と言われていました。
この最悪、最大の犯罪人さえ、イエス・キリストを信じたときに、キリストとともにいる恵みにあずかったのです。

主イエス・キリストの十字架を信じ仰ぐときに、主の恵みはだれにでも豊かに与えられます。
そして、それは信じた瞬間に与えられるのです。

宗教改革をしたドイツの修道僧マルティン・ルターは、人間の努力、修養ではなくて、ただ『信じることによる』との、この簡単にして深い信仰の奥義を知りました。

しかし今日のクリスチャンの多くの人は『信じる』だけではもの足らないもののように、その上に何かを加えようとしています。
そこにクリスチャンの弱さがあり愚かさがあるのです。

私たちも恐れることなく『ただ』信じようではありませんか。

God Bless You!!


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