2021年12月26日(日)の手紙

2021年12月26日(日)


『あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。』ペテロの手紙第一2章21節


キリストが十字架を負われたのは、私たちの贖いのためでした。
しかしそこには、また贖われた者の歩むべき模範がありました。

それは、クリスチャンもまた、キリストにならって苦しみを味わうためです。

それで、ここに三つのことが記されています。
第一に、キリストの足跡を踏むように召されています。

苦しむということは、だれしも好まないことです。
しかし、クリスチャンであるために、苦しみを味わうことがあります。

赦せない人を赦す、忍びえないことを忍ぶ、また、キリストをあかしするために受ける迫害、困難もあります。
そして、キリストのために、自分自身を、ときには家族さえ犠牲にすることがあります。

しかしこれは、みなキリストにならう道なのです。
私たちはキリストの足跡にならうように召されているのです。

使徒パウロも言っています。
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです」と。

第二に、キリストの模範があります。
キリストは、さまざまな苦難の道を歩かれ、試練を受けられました。
その一つ一つは、みな私たちの模範でした。

主イエス・キリストが受けられた迫害も嘲笑も、貧しさも苦しみも、周囲の魂に対する悲しみも涙も、それは私たちをその御足の跡にならわせようとの手本であり、模範でした。

私たちがキリストを信じるゆえに通らされる試練や困難のただ中にも、その一歩前にキリストの御足の跡のあることを知らねばなりません。

私たちはただ、キリストの御足の跡を踏んで進めばよいのです。

第三に、神の喜ばれることです。
「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです」。

神は御子イエス・キリストを全うするために、さまざまな試練、困難の道を歩かせられました。
そのように、キリストに従う神の子どもたちを完成されるために、また同じような道を歩ませられます。

それによって、洗練され、聖別され、練達し、成長していきます。
これは、神のご計画の中にあるのです。

私たちは、キリストの御足の跡にならうことをためらってはなりません。
どのように恵まれている人も、人生においては思いがけぬ不幸、悲しみに会うことがあります。

しかし、それらはみな私たちを主キリストの御姿に似させるために与えられる試練です。
このような場合、不平を言わず不信仰にならず、従順に主の御手の中に憩い、共に内にいてくださる主をあがめ、主を信じ従うことです。

それは主の御足跡にならわせるためです。

God Bless You!!


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