2021年12月24日(金)の手紙

2021年12月24日(金)


『キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。』ヨハネの手紙第一3章16節


私たちがイエス・キリストの十字架の贖罪を知り、信じて救われたとき、私たちは死よりいのちに移ったのですとヨハネは言っています。
私たちは、もはや罪によって死ぬのではなく、イエス・キリストによって、永遠に生きる者となったのです。

これは、何と驚くべき御救いでしょう。
いのち、永遠のいのちをもつ者になったのです。

これは全く、主イエス・キリストのご愛によるものです。

このキリストが私たちを愛して、いのちをお捨てくださったことを知った私たちは、また、隣にいる兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

キリストの愛を知ったクリスチャンの生きる道は、兄弟愛に生きることです。

この兄弟を愛するということは、第一に、キリストにならう生活をすることです。
今や、イエス・キリストは私たちのうちに、聖霊によって宿り、内住していてくださいます。

このキリストが地上におられたとき、人々を愛されたように、今も私たちを通して周囲の人々を愛そうとしておられます。
ですから、私たちが隣人を愛するとき、それはキリストによるキリストにならった生活であり、御霊による歩みなのです。

第二に、それは、いのちの生活です。
「愛さない者は、死のうちにとどまっている」と書かれています。

愛は愛することによって成長します。
私たちがだれかを、少しでも愛し始めるとき、私たちの心は豊かにされ、広げられ、深められていきます。

愛のない生活に成長はありません。
御霊はたえず愛に満たし強めてくださいます。

第三に、神の愛にとどまる生活です。
私たちが、実際的に隣人に愛を現していくとき、それは神の愛にとどまっている生活であるといわれています。

私たちの愛は口先や、ことばで終わってはなりません。
行いと真実をもってなさねばならないのです。

主イエス・キリストの愛も、口先やことばだけではありませんでした。
それは、「ご自身のいのち」を捨てられた愛でした。

私たちが兄弟のため、隣人のために心を砕き、愛のわざに励んでいるとき、それは、私自身のわざでありながら、私自身のわざではなく、うちにおられるキリストの愛といのちの現れなのです。

主が私たちを愛してくださいましたように、今や御霊の内住により主の愛が私たちを満たしていてくださいます。
主は私たちの内を、兄弟に対して赦し、いたわり、助けたいとの愛で満たしてくださっています。

主が人々を愛されたように、今や私たちを聖別し、小さなキリストの分身として、私たちの内から愛のわざを進めてくださいます。
信仰をもって従うことです。

God Bless You!!


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