2021年12月15日(水)の手紙

2021年12月15日(水)


『キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。』ガラテヤ人への手紙5章24節


アダムの陥罪によって堕落した人間は、すべて肉の人となりました。
肉とは、肉体のことではなく、肉体をも支配している堕落した人間性のことです。
これは、人間の生まれつきの性質のことをいっています。

この肉性は神を喜ばすことも、神に従うこともできません。
かえって神に逆らうものです。

そこから出てくる思いは死に至らせます。
それは人間の腐敗性です。

そして、そこから罪が生まれてくるのです。

「肉の行いは明白であって、次のようなものです。
不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酪剤、遊興、そういった類のものです」。

これこそ、クリスチャンを悩まし、堕落させ、罪の道に走らせるものです。
この肉性が死ぬということ、これが主イエス・キリストの十字架の上で成就されているのです。

イエス・キリストが十字架で死なれたとき、私たちの肉性も共に死んでいるわけです。
自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに十字架につけてしまいました。
これこそ、主イエス・キリストが十字架で成し遂げられた恩寵のみわざです。

それは十字架による罪の赦し、義認の恩龍とともに、さらに進んで、私たちの内心になされた深いみわざなのです。

それは、第一に、肉性の磔殺です。
主イエス・キリストはニコデモに、「肉によって生まれた者は肉です」と言われましたが、堕落したアダムの子孫である人類は、みな肉の人となりました。

肉は、死なねばならないものです。
そして、主イエス・キリストは十字架上のご自身の死によって、私たちを共に死んだのとしてくださいました。

私たちの肉性、汚れた腐敗性はすでに死んだものとなっているのです。

第二に、肉的感情の磔殺です。
私たちの生まれつきの性質は、わがままな思いに走ります。
怒り、憎しみ、敵意、そねみ。
時には過度の愛情、執着と。

しかしこれらの感情も、思考、思想までもキリストの十字架によって死んだものとして解決を見ることができるのです。

第三に、肉的欲望の磔殺です。
肉的な人は肉的欲望の奴隷になっています。
イエス・キリストの十字架によって、この卑しい欲からさえ聖別されることができるのです。

私たちは今、キリストとともに十字架で死んでいるわけです。

ユダヤ人の男性はみな割礼を受けねばなりませんでした。
それは肉性の聖別を意味したものです。

しかし、主イエスはご自分の十字架の死によって、肉性の聖別を示してくださいました。
肉の思いは死であり、汚れであり、敗北であり腐敗です。

クリスチャンは十字架を仰ぐだけでなく、死んだものとして徹底した悔い改めをし、願望も、愛情も、我意も一切を十字架の祭壇にささげて、御霊によって生かされることが必要です。

God Bless You!!


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