2021年12月11日(土)の手紙

2021年12月11日(土)


『もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。』ヨハネの手紙第一1章7節


主イエス・キリストがカルバリの丘の上で十字架につけられた時、終始そのかたわらにいたのは、主イエスの弟子ヨハネでした。

ヨハネは涙にぬれた目で、主イエスを仰いでいました。
そしてその両手から、その御足から流れる血を見ていました。

また、主がやがて息を引き取られた時、ローマの兵卒が槍で、主の御わき腹を刺し貫いたのも見ていました。
その時、その御わき腹より血と水とが流れ出たのも見ました。

おそらく、ヨハネはこの時、まだ主の十字架の意義、そして流された血潮の意義を十分に知ることはできなかったでしょう。

しかしペンテコステの日、聖霊が降った時、彼の心の目は開かれ、キリストが十字架で流された血潮の奥義を知ることができました。
そして、キリストこそ、世の罪を取り除く神の小羊であり、流された血潮こそ、贖罪の血であり、新しい契約の血であることを知ったのです。

また、その能力を信じることができました。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」と。
このキリストの血潮こそ、私たちの信仰のよりどころです。

キリストの十字架の血潮は、第一に、私たちを光の中に入れるのです。
罪は、私たちの心を暗くし、生活を乱してしまいます。

しかし、イエス・キリストの十字架の血潮の贖罪を信じるとき、私たちの罪は赦され、きよめられて、心は光の中にはいることができます。
それは偽りのない、真実な心と変えられるのです。

第二に、私たちは互いに交わることができるのです。
罪は、私たちを神より引き離してしまいます。
しかしイエス・キリストの血によって罪が赦されるとき、神との交わり、主イエス・キリストとの交わりにはいることができます。

神は光です。
私たちが、十字架の血潮を信じるとき、そこには神との幸いな霊の交わりが始まるのです。

第三に、私たちは罪に勝つことができるのです。
それは「あなたがたが罪を犯さないようになるためです」。

主イエス・キリストの血には、私たちを罪より離れさせ、罪より守り、罪に勝たせる力があります。
ここに、神とともにいるきよい生活が始まるのです。

「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」と、今、イエス・キリストの血の力に信頼しようではありませんか。

旧約の初めより、アベルが神の御前に小羊の血を流したように、それ以上に神の小羊である主イエスは、旧約の約束を完成して、ここに新約の贖罪の完成をしてくださいました。

キリストの血によって、私たちは恐れることなく神の光の中に、聖徒の交わりの中に生きることができるのです。
これが福音であり、大きな恵みです。

God Bless You!!


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