2021年11月6日(土)の手紙

2021年11月6日(土)


『みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。』マタイの福音書6章10節


神は、何が恵み深いご計画を一番よく達成するかを知っておられます。
神はみこころによるご計画にしたがって、すべてのことを定めておられ、そのご計画に誤りはありません。

私たちはご計画の変更など望まず、神をあがめつつ、みこころが行われることに賛同しようではありませんか。

そのみこころによって、私たちは多大な犠牲を払うかもしれませんが、それでも私たちの意志をみこころに沿わせようではありませんか。
私たちの思いを、神のみ思いに完全に従わせようではありませんか。

そのみこころによって、私たちに死別や病気や損失がもたらされるかもしれませんが、こう言えるようになろうではありませんか。

「その方は主だ。
主がみこころにかなうことをなさいますように」。

私たちはただ神のみこころに明け渡すだけでなく、みこころが定めた苦難の中にあって喜ぶために、みこころに黙って従うべきです。
これは高い到達点ですが、達するべく努めましょう。

この祈りを教えてくださった方ご自身は、最も無制限に、この祈りを用いられました。
み顔に血のような汗をにじませ、苦悶する人間のあらゆる恐れやおののきを味わいつつも、この方は御父の定めに抗うことをされず、 こうべを垂れて叫ばれました。

「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」

もし祈りが主イエスから命じられたのでなかったら、私たちは祈りをあまりにも大胆なものと考えるでしょう。
一体、バケツのほんの一滴にすぎないこの世が、広大ないのちの海や天上の光に触れ、途方に暮れないことなどありうるでしょうか。

この世でありつつも、天国のように変えられることなど、ありうるでしょうか。
虚飾に支配され、罪に汚れ、悲しみに満ちたこの世に、天国と同じように聖さが住まうことなどありうるでしょうか。

聖なる導き主は、ありえないことを祈り求めよとは教えられませんでした。
主はこのような嘆願を、聞かれうるもの、答えられうるものとして、私たちに祈ることを命じておられます。

しかしながら、これは卓越した祈りであって、無限の色合いを帯びています。
この世は天国のハーモニーに調律されうるでしょうか。

それは可能であり、またそうあるべきなのです。
なぜなら、この祈りを教えてくださった方は、無益なことばで私たちを教えたりされなかったからです。

これは天からもたらされた信仰のみが口にすることのできる、勇敢な祈りです。

ただし、これは推測の産物ではありません。
それというのも推測は、主のみこころがあますところなく行われることを、決して望まないからです。

天上のかなたでは、聖別された物事に休みはありません。
神のご命令を行い、神のおことばに耳を傾けます。
願わくば神のみこころがこの地上で高らかに説かれるだけでなく、天においてと同じように行われますように。

父なる神様。
あなたのみこころによって私が今日どれほどの犠牲を払おうとも、御子の犠牲ほど大きいものはありません。
みこころが行われますように。

アーメン


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