2021年11月5日(金)の手紙

2021年11月5日(金)


『絶えず祈りなさい。』テサロニケ人への手紙第一5章17節


主イエスはこのみことばで、私たちが絶えず祈ってよいことを明言しておられます。

祈らなくてもよい時などないのです。
時間の中で、きよくない時刻は一瞬とてなく、一日あるいは一年の中で、受け入れられていない時間はありません。

どこでも真実な心で主を求めるなら、主を見いだします。
いつでも主に呼ばわるなら、主は聞いてくださいます。

至聖所の幕が上から下まで裂けて、恵みの御座に近づけることは議論の余地なく明白であるゆえに、あなたは来たいときに恵みの御座に来る許可を与えられているのです。

シュシャンの城の王には、呼ばれないかぎり誰も近づくことはできませんでしたが、王の王なる主は、ご自分の民すべてを呼び求めておられるので、民はいつでも来ることができます。

アハシュエロス王が笏を差し伸ばさないのに王の前に行く者は殺されましたが、私たちの王なる主は、決して笏を引っ込めることはなく、いつも差し伸ばしておられるので、みもとに来たいと願う者は誰でも、いつでも来ることができます。

ペルシヤでは、随意にいつでも王に拝謁できる特権をもつ少数の貴族がいました。
そのような、ごく一部の高貴な人々のものであった特権は、神の子らすべての特権です。
いつでも王なる主の御前に来てよいのです。

真夜中でも神に遅すぎることはなく、夜明けの薄明かりが射し始める頃でも、いと高き方に早すぎることはなく、夕闇迫る頃でも、神は決して子らの祈りを聞き飽きたりなどされません。

絶えず祈ることは、信仰者にとって、主の御前にいつでも心を注ぎ出してよいという、きわめて甘美なかけがえのない許可です。

神の愛なる聖所のドアは、決して閉ざされません。
祈るたましいと神の間をさえぎる障壁は何もありません。
御使いたちの道と祈る者たちの道は常に通じています。

祈りの鳩をひたすら放とうではありませんか。
そうすれば、必ずや鳩は平和のオリーブの枝をくわえて帰ってきます。

主はとこしえに、しもべらの嘆願を御心に留めてくださり、しもべらをあわれもうと待ち受けておられます。

イエス様。
あなたは聖所のドアをとこしえに開いてくださいました。
どうか私の心を常にそこに住まわせてください。

アーメン


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