2021年11月3日(水)の手紙

2021年11月3日(水)


『聖霊によって祈りなさい。』ユダの手紙1章20節


神はご自分の民を見守っておられ、決して民の葛藤や困難をただ冷ややかに傍観してはおられないと、考えるのは喜ばしいことです。

主は祈りにおける私たちの弱さや怠慢を知っておられながらも、お怒りになりません。
むしろ、私たちをあわれみ、いつくしみたいと思っておられます。
あわれみの門を閉ざす代わりに、ふさわしくない者を御前に導く方法を思案しておられます。

無知な者にどう祈るかを教え、その御力で弱い者を強くしてくださいます。

その助けは書物によるのでもなければ、どこかの神聖な場所でなんらかのことばを唱えることによるのでもなく、聖霊のへりくだられたお働きによるのです。

聖霊が実際にいつでも祈りを助けてくださり、どう祈ればいいかを教えてくださることを私は知っています。
また、どう祈ればいいかわからなくなり、自分の願いを言い表せなくなったときに、聖霊が私の窮境に現れてくださり、言いようもない深いうめきによって、とりなしてくださることを知っています。

イエスはゲッセマネのお苦しみにおいて御使いから力を与えられましたが、あなたは神ご自身から力をいただくことになっています。

この思いを、雄弁なことばで飾る必要はありません。
オフィルの金のくさびのように高価なものと見なし、大切にすべきです。
それはたとえようもないほど貴重なものです。

聖霊なる神は、あなたがひざまずいて祈るとき、身を低くしてあなたを助けてくださいます。
たとえあなたが人とのありふれた会話で一言も話せなくても、聖霊は神との語らいを助けてくださいます。

そして、もし恵みの御座であなたがことばに詰まっても、実際は話せないことはありません。
なぜなら、あなたの心は、ことばに勝るからです。

神はことばを要求なさいません。
神が私たちの嘆願を理解されるのは、外面的なことばづかいによってではなく、内なるうめきによるのです。

神が目を留めてくださるものは、切なる望み、願い、嘆き、嘆願です。

祈りの外面はいれものに過ぎないことを忘れないでください。
内なる祈りこそ、まことの核心であり本質です。

ほんとうに、
はげしい苦悶の中にあって、孤独な心の底から嘆きとなって出てくる祈りは……それは人には耳ざわりな叫び声ですが……神の御耳には妙なる調べです。

祈りの本質の価値観に目を留め、慰めをいただきましょう。

聖霊様。
祈りを教えてください。
祈る力を与えてください。
私の心はあなたのものです。
父なる神の御座の前で、私のためにとりなしてください。

アーメン


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