2021年11月27日(土)の手紙

2021年11月27日(土)


『大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。』ヨハネの手紙第一3章21節〜22節


幼子のような大胆さによって、私たちは他の誰にもできないような祈りに導かれます。
この大胆さを身に着けていなかったら決して願い求めなかったであろう大きなことを、祈り求めるように導かれるのです。

また、神に対して幼子のような大胆さを覚えたことがないゆえに、多くの人々が願い求めるのをためらうほどの小さなことも、この大胆さによって祈るように導かれます。

大きなことよりも小さなことを祈り求めるほうが、神の御前での大胆さをより必要とすることを、私はしばしば感じてきました。

私たちは、自分にとって重大な物事は、なんとか神に顧みていただくに足ると思い込んでいますが、それは実は、神にとって取るに足らない物事です。
私たちはまた、自分にとって些細な物事は、あまりにも取るに足らなくて、神の御前に持ち出すのは無礼だと考えているのです。

幼子にとって重大なことは、その親にとって取るに足らないことかもしれませんが、親は自分の視点からでなく、わが子の視点から物事を測ることを、私たちは認識しておく必要があります。

たとえばあなたが、自分の幼い息子がひどく泣いている声を聞いたとしましょう。
痛みの原因は、指に刺さったとげでした。

あなたはとげを抜くために三人の外科医を呼んだりはしなかったのですが、その小さな患者にとって、とげはゆゆしい問題でした。

苦痛の涙を目にいっぱいためて立ち尽し、その少年は、自分の痛みがあなたにとって取るに足らないものであるから気にかけてもらえないなどと、露ほども思いませんでした。

父や母の存在目的は、幼い子どもたちの取るに足らない関心事を顧みることに尽きるのではないでしょうか。
そして私たちの父なる神は、世の父親がわが子をあわれむように、私たちをあわれんでくださる良き父です。

このお方は星の数を数え、そのすべてを名前で呼ぶ一方、心痛む人々をいやし、その傷口に包帯をしてくださいます。

大胆に神の御前に出るなら、このお方が決して信頼を裏切らないことを覚えつつ、あなたにとって重大なことも些細なことも、御前に申し上げましょう。

父なる神様。
あなたが顧みてくださっていることを知るゆえ、私は感謝し、幼子のようにみもとに近づきます。
私はあなたを愛します。

アーメン


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