2021年11月25日(木)の手紙

2021年11月25日(木)


『その子をわたしのところに連れて来なさい。』マタイの福音書17章17節


祈りと断食は、私たちが通常持っている以上の大きな力をいただく手段として、主によって定められています。
ですから神の教会は、この手段をもっと用いるなら、さらに力強くなって今の不信仰な時代と格闘するでしょう。

祈りは私たちを天に結び合わせ、断食は私たちを地から切り離すのです。
祈りによって、神の宴会の家に導き入れられ、断食によって、世の朽ちるパンに満ち足りて動けない状態から、たましいは救い出されます。

信仰者は、霊的活力の可能性の及ぶかぎりまで成長すると、内在して働かれる神の御霊により、信仰者をあぎ笑おうとする悪魔を、追い払うことができるようになります。

しかし、そのためには、山のような困難が依然としてあり、それらは直接、主ご自身のお働きに、助けを仰がなければならないのです。

イエス・キリストが今も生きておられることを、どうか忘れることなく心に留めてください。
その真理は単純であるがゆえに、確認しておく必要があります。

私たちは非常にしばしば牧師や教会員を見て、その教会の力を評価しますが、教会の力はそこにあるのではなく、聖霊と、永遠に生きておられる救い主のうちにあるのです。

心配する父親が息子をイエスのもとに連れてきたときと同様に、イエスは今日も生きておられます。
私たちには、自然界の奇蹟を起こす力もなければ、霊的な奇蹟を起こす力もありません。

キリストはどんな種類の不思議でも起こす力を持っておられ、今もなお霊的な奇蹟を起こすにやぶさかでなく、そうすることがおできになります。

わが生けるキリストのもとに、私自身および他の人々のたましいに起こる難局を、ことごとく持ち込んでよいとは、考えるも喜ばしいことです。

また、イエスが権威の座におられることも、おぼえておいてください。
イエスの力の権威と、その神性の輝きを、すべての地獄は告白しています。

どれほど強力な悪魔でも、イエスの御前ではみな震え上がり、イエスは感情や良心も支配しておられるのです。
このお方の手に負えない場合など、決してありません。

キリストには救う力がないのでしょうか、
あるいは病気が多すぎて、偉大な医者であるキリストの手に余るというのでしょうか。

絶対にそんなことはありません。
サタンと罪とに打ち負かされたキリスト……そんなことは、ありえません。

キリストは、鉄のかんぬきと真鍮の門をまっぷたつに打ち砕いて、とらわれ人を自由にしてくださるのです。

イエス・キリストよ、
このさき直面するどんな物事よりも、あなたはすぐれて偉大です。
私はその御腕の中に身をゆだね、そのあわれみの内にあって歩みます。

アーメン


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