2021年11月24日(水)の手紙

2021年11月24日(水)


『どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に……。』エペソ人への手紙3章20節


おそらく、あなたは次のように感じているでしょう。

きよい大胆さと聖なる接近のときに、偉大な王にしか頼めないような大きなことを神に願い求めてきたけれども、その願いはいつもことばが足りなくて、神の御力の根源にまで届かなかったと。

私たちの祈りは、どんなに最上かつ大胆であろうと、多くの限界があります。
祈りはしばしば、私たちの必要に迫られた思いによって制限されているのです。

私たちは自分の欲しいものがかろうじてわかるのであって、何を祈り求めるべきかは、教えられる必要があります。
さもなければ、正しく願い求めることは決してないでしょう。

私たちは自分の霊的状態を勘違いし、たましいの飢え渇きに敏感でなく、罪によって霊的渇望が鈍くされており、それゆえ祈りを狭めているのです。

しかし、神はさいわいなるかな、私たちの側で感じる必要によって、神は制限されたりなさいません。
神に招かれた客はパンと水を要求するかもしれませんが、神がととのえてくださる御馳走をご覧なさい!

どの神の子も申し分なく理解している御約束など、ひとつでもあるでしょうか。
数々の御約束には意味があり、まだ理解されていない広さ、長さ、高さ、深さがあります。

神はみずからを低くして人間のことばを用いてくださっており、そのことばは、私たちにとっては銀という意味であっても、神は金の意味で用いておられます。

神のみむねが、そのみことば以下であることは決してありません。
むしろ、神はこう言っておられると私たちが考えること以上に、はるかに多くをいつも意味しておられます。

このことのゆえに、主をたたえようではありませんか。
祝福を与えてくださる神の御力は、その祝福を理解する私たちの能力に左右されたりしないのです。
ここに挙げた約束は、神が私たちの思うところの「すべて」を越えて施すことができると強調しています。

これまでに願い求めてきたすべてを総括しなさい。
願いのすべてを山のように積み上げ、そうして、あなたがこれまでに考えてきた神の恵みの豊かさに関するすべてのことの頂上に、その願いを置くのです。

なんという山でしょう!
あたかも峰に峰を重ねたように高く積み上げられ、まっすぐに星々まで届くヤコブのはしごともなっています。

さらに高く、さあ、積み上げなさい!
あなたが積み上げているのはバベルの塔ではなく、その頂上は決して天に届くことはありません。
この祈りのピラミッドがどれほど高く積み上げられようと、祝福を与えてくださる神の御力はさらに高いのです。
私たちにとって有益だと思える祝福のすべてを越えて、神は施すことがおできになるのです。

ああ主よ、
このことを理解させてください、
これを理解できる信仰を与えてくださり、そうして主をほめたたえさせてください。

アーメン


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