2021年11月21日(日)
『剣をもとに納めなさい。……わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。』マタイの福音書26章52節〜53節
神なるキリストが用いることのおできになる手段に、限界などありえません。
イエスが望まれるなら、膨大な数の御使いがあたり一帯を満たすでしょう。
救い主が味方の軍勢を呼び集めるだけで、ユダに率いられた群衆は、雑魚の群れとなって即座に散らされるでしょう。
裏切られ、捕らえられた主の栄光を見なさい。
このとき、これほどの栄光があったのですから、御父からすべての権力をゆだねられた今、どれほどの栄光があることでしょう!
あなたの心にはっきりと思い描いてほしいのは、イエスは謙卑の状態であったにもかかわらず万物の主であられたこと、しかも、とりわけ目に見えざる世界の主、万軍の主であられたことです。
この点がはっきりとわかればわかるほど、イエスを十字架の死に向かわせた圧倒的な愛は、いよいよほめたたえられるでしょう。
ここでしばしの時間、思いめぐらしてほしいのは、御使いたちが、あなたの基準や程度に応じて、あなたの呼びかけにも応じるということです。
神に祈りさえすれば、御使いは、あなたが足を石にぶつけないように、抱え上げてくれます。
この天上の存在はすべて、あまり顧みられていませんが、救いを相続する人々に奉仕するために遣わされた、仕える霊です。
エリヤの従者のように、もしあなたの目が開かれたら、神の従者たちを取り巻く火の戦車と、火の馬でいっぱいの山を見ることでしょう。
主にならって、目に見えない軍勢を期待しようではありませんか。
目で見えるものや耳で聞こえるものにより頼まず、五感にとらえられず、信仰によってのみ知られる霊的な御使いの力に、関心を寄せようではありませんか。
私たちが気づいている以上に、御使いたちは摂理の働きにおいて重要な役割を果たしています。
神は私たちに地上での友をお立てになることもできるし、もしそうでなければ、より才長けた友を天上で見つけてくださることもできます。
敵の耳を切り落とすために剣を抜く必要はありません。
なぜなら、さらに限りなく優れた御使いたちが私たちのために働くからです。
神への信仰をもつなら、すべてのことはあなたに益として働きます。
神の御使いたちは、神の子らの中でも最も小さい者を守ることを、誉れとも喜びともするのです。
主イエス様。
あなたは御父の右に高く挙げられています。
今やあなたの御手に余ることは何一つありません。
アーメン
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