2021年11月10日(水)の手紙

2021年11月10日(水)


『ダビデのマスキール。彼が洞窟にいたときに。祈り』詩篇142篇表題


ダビデは洞窟にいたとき、まさに祈りました。
洞窟にいたときの半分でも王宮で祈っていたら、どんなによかったでしょうか。

もしダビデが天を見上げていたら、もしその心が神と交わっていたら、屋上から家を見下ろさなかったでしょうし、全人格をけがすような、あれほど重大な罪を犯さなかったでしょう。

私たちの神は、山におられるだけでなく、谷にもおられます。
陸でも海でも、このお方は神です。

ヨナが永遠に行く手をはばまれているように思われたときも、神はヨナの祈りを聞いてくださいました。
どこで働いていても、祈ることができます。
どこで伏していても、祈ることができます。

たとえどこに追放されても、神が近くにおられない所はありませんし、昼も夜も、神の御座に近づけないときはありません。

洞窟の中では、これまで最上の祈りがささげられてきました。
暗闇の中にいるときに最もまばゆい輝きを放つ神の民もいます。

御国の相続人は多くの場合、祈る必要にかられたときこそ、最高の祈りをささげます。

健康なときには賛美をほとんどしないのに、病床にあって高らかに賛美する人々もいます。
試練が訪れるまでは神をほめたたえなかったのに、苦難の炎の中で神を高らかにほめたたえる人々もいます。

ダビデは全イスラエルの王となるように定められていました。
エルサレムの王座への道のりはどうだったでしょうか。
それはアドラムの洞窟を経由する道のりでした。

ダビデは追放者として、そこへ行かなければなりませんでした。
それが王になるための通るべき道だったからです。

神があなたをこれまで以上に高い次元の霊的生活に導こうとされるときはいつも、まず挫折をお与えになります。
神は、食物を与える前に空腹にしてくださいます。

衣服を与える前に裸にしてくださいます。
あなたを用いる前に、砕いてくださるのです。

神がヤコブのもものつがいを打ってそれをはずした後にこそ、ヤコブは「神の王子」となりました。

ですから、洞窟を経験して歩むとしても、いぶかしむことはありません。
このときこそ、神はあなたに祈りを教えてくださいます。

父なる神様。
私の今日歩む道が洞窟であろうと王座であろうと、いつもこのくちびるはあなたを高らかにほめたたえますように。

アーメン


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