2021年11月1日(月)の手紙

2021年11月1日(月)


『あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を私たちの心に遭わしてくださいました。』ガラテヤ人への手紙4章6節


アバということばは、あらゆる言語の語彙のなかで、最もふさわしく父を言い表すことばです。
それはまさに幼児語であり、明らかに主はゲツセマネのお苦しみにおいて、子どもことばを好んで使われたのです。

このアバという甘えた響きのことばが使われたのは、私たちと神との本来あるべき自然な関係、おおげさでもなく堅苦しくもない関係を示すためだと私は思います。

私たちは深い愛情をもって神に近づき、御胸に思いきって寄りかかり、御顔を見上げつつ、きよい大胆さで語りかけていいのです。

「アバ」は、ことばではなく、むしろ赤子の舌足らずの発音です。

ああ、このような話し方ができるなら、私たちはなんと神のみそば近くにいることでしょう。
尊い御子ご自身のように、「アバ、父」と神に向かって話せるなら、私たちと神との間柄は、なんと親密なことでしょう。

私たちの心の呼びかけは、子どものように無邪気なだけではありませんが、語調と語り方は子どもと同等です。
これが「呼びかけ」であることに注意してください。

もし王様に拝謁するなら、呼びかけなどせず、適度に抑制された声音と型通りの言い回しで話します。
しかし神の御霊は、形式ばることをやめさせ、「アバ」と呼びかけるように、私たちを導いてくださいます。
私たちの呼びかけそのものさえ、子とされた御霊に満たされているのです。

ですから、呼びかけて父親が聞いてくれるかと心配する子どもなど、いるでしょうか。
内なる御霊が呻き叫ぶとき、私たちは恥じも恐れもせず神の御前で呼びかけます。

もしかすると、他の誰かのように立派な祈りができないから、神は聞いてくださらないとあなたは考えるかもしれません。
しかし御子の御霊が呼びかけておられるのですから、あなたも呼びかける以上のことは何もできません。

途切れがちのことば、悲嘆に暮れたことば、涙に濡れたことばを神に申し上げることで十分です。
きよい慕わしさで神のもとに行き、恐れることなく御前で「アバ、父」と呼びかけなさい。

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と私たちが言うとき、神がみそば近くに引き寄せてくださらなかったことがあったでしょうか。
私たちは全身全霊を傾けて、生ける神に呼びかけるのです。

アバ、父よ。
あなたを知りたいのです。
その愛を味わい知り、御翼の陰に憩い、御顔を拝し、大いなる父の御心によって平安が満ちあふれるのを感じたいのです。
アーメン。


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