2021年10月6日(水)
『あなたが真理に生きていることを、あかししてくれたので……。』ヨハネの手紙第三1章3節
長老ヨハネがガイオに、あなたがすべてのことに恵まれるようにと言っているのは、たとえば家庭や職場などの具体的で身近な人間関係においても、イエス・キリストの事実、イエス・キリストの恵みが生かされているようにということである。
なるほどイエス・キリストが生きておられるから、あのような生活ができるのだというようになってほしい、と言っているのである。
私たちはクリスチャンとして生きているのだが、どこかでふっとこの世の子となり、肉の子となるようなことがよくある。
「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」と書いてあるが、これも同じことである。
私たちはキリスト・イエスに対しては、すばらしい思いをいだいているが、それと同じ思いをあなたがたの間でも生かしなさいということである。
長老ヨハネは、ガイオが信仰に根ざし、信仰を基とし、あちらでもこちらでも花を咲かせ実をみのらせていくような信徒であってほしいと願って祈っているのだ。
「兄弟たちがきて、あなたが真理に生きていることをあかししてくれたので、 ひじょうに喜んでいる」。
この場合の真理とは、キリストということである。
パウロが「生きることはキリスト」と言っているが、実にパウロは信仰生活に入ってから非常な困難や苦しみに出会った。
同僚からも快く思われず、エルサレムのイエスの直系の弟子からもあまり心安く思われていなかった。
また彼が育ててきた、いわば自分の分身のようなガラテヤの教会も離反した。
そのような中で、彼は「生きることはキリスト」であると言った。
もう生きるのはいやだというようなことが私たちにもあるが、キリストに思いがいけば、自分はそこから押し上げられていく。
それこそが、生きるはキリストという思いなのだ。
「事実、あなたは真理のうちを歩いている」。
イエス・キリストを信じるということは、ある意味において、イエス・キリストを私たちの相談相手にすることだと思う。
右にすべきか左にすべきかというときに、イエス・キリストに相談することが信者の生活である。
そこに私たちの特権がある。
他の人たちはそういうイエス・キリストを知らないから、自分の判断や自己の思いだけでそれをやっていくが、私たちはそうではなくて、神に相談することができる。
しかし、その相談相手にどこまで私たちの生活が影響されているかということになると、必ずしも胸を張るところまでは達していない。
私たちは相談相手を選んでおきながら、その人の言葉に従って生きていこうとしないということがあるのではないか。
「事実、真理のうちを歩く」とは、神の言葉にただ従うことなのである。
God Bless You!!
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