2021年10月25日(月)の手紙

2021年10月25日(月)


『彼女から離れ去って……。』ヨハネの黙示録18章4節


ヨハネは、ローマ帝国が栄華をきわめているときに、その滅亡を預言した。
ヨハネにとってローマの滅亡は明らかであったのだ。

ローマが神の御心に反することを行っているから、それに対して神の怒りが来るのは当然である。
だからバビロンすなわちローマは裁かれ、滅ぶと言う。

この世の論理からは、神に仕えて一生懸命やれば大丈夫だと私たちは言ったり考えたりする。
そして神の御心に反するようなことを行っていれば、いつかは神から裁きを受けるというように考える。

そういうこの世の論理からすれば、自分の知恵と力とで事業が発展し不動の基礎があれば、もう大丈夫というような思いも持ちやすい。

しかし神の論理からすれば、その生き方が神の御心にかなっているかどうかがたいせつであり、もし神の御心にかなっていなければ、それはたちどころに倒れてしまうのだ。
それが信仰者、預言者の見方である。

「彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた』」。

ローマは非常に栄えており、むしろローマの力によって倒れているのはキリスト教徒である。
彼らは捕らえられ、牢獄に入れられ、獅子のえじきとされていたのであって、キリスト信者がどんなに結束しても、ローマの力の前にはどうすることもできなかった。

そういう状態にありながらヨハネの黙示録は、「ローマは倒れた」と預言過去の言葉でその確信を語っている。

「わたしの民よ。
彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ」。

キリスト信者たる者は、ある意味においては世俗の生活から離れ去る者である。
最近のキリスト教はそのように離れることをあまり言わない。
むしろいっしょになることをよく言う。

確かにキリスト教信仰は愛の信仰であり、離れてしまったのでは愛にならない。
どんな人に対しても近づいていくところにほんとうの愛がある。

イエスはマタイに「わたしに従ってきなさい」と言われたが、それはマタイの持っているいろいろな暗い面をご自分が引き受けなければ言えないことである。
そのように愛は、相手の欠点とか苦しみとか負い目とかを自分が負っていくことである。

しかし同時に、キリスト信者は人を助けたり、人の重荷を負ったりできる者になるためにも、まずこの世から離れ去り、この世の罪にあずからないようにしなければならないのだ。

自分を清く保つことに一生懸命になることが非常に大事である。

それはこの世と妥協しない、あるいはこの世から出るということである。
私たちがより立派な証しをしていくためには、なおいっそうこの世から離れていかなければならないのだ。

God Bless You!!


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