2020年9月9日(水)の手紙

2020年9月9日(水)


『そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた。こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。』使徒の働き6章2節~7節


ダビデが油を注がれたあと、「仕事に熟練」したことは注目すべきです。
使徒の働き6章を見ると、七人が教会の仕事に従事するよう任命され、聖霊に満たされていることが資格証明であることがわかります。

あなたは日常の仕事において主に導いていただけると、心から信じているでしょうか。
主に導いていただくことは可能です。

けれどもまず、自分自身の知恵を手放し、主の知恵を受けることが必要です。
そうすれば主は、「あなたにとって知恵」となられます。

教会がこの世の世俗的な知恵に依存することが減ればよいのです。
ビジネスマンに頼って彼らの生来の能力ややり方を教会に持ちこみ、霊的なものを生来のものに引き渡すことが多すぎます。

この世的に「すぐれた仕事」を、神の教会のために用いるのは間違っています。
神には、ご自分のみわざのビジネス面のためには「高い所からの能力」を授けることがおできになるのですから。

「この務めの上に置くために、御霊と知恵とに満ちた七人を選びなさい」。

もしもこのことを行っていれば、失策はもっと少なくなるでしょう。

この世的な助けを求めるどんな権威が私たちにあるのでしょうか。
この上なく完璧な程度まで組織化された教会がありますが、その中には神のいのちのきらめきはありません。

ジェシー・ベン=ルイス


私たちがキリスト者と呼ばれるのは、神に油を注がれて、聖別されているからである。

テオフィロ


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