2020年9月27日(日)の手紙

2020年9月27日(日)


『あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。』コロサイ人への手紙2章10節


主にあって歩むとき、一つひとつの行為は礼拝となる。
私たちは、この歩み、またはあの歩みが正しいか正しくないかをただ考えるだけではない。

神の召命を意識しつつ、高貴で適切な基準を参考にしながら、自分の意図した歩みが神に喜ばれるかどうか、キリストに栄光を帰するかどうかをむしろ問い、キリストにあって満たされ、よみがえって栄光を受けた主に根ざしている者にふさわしいかどうかを問うのである。

キリストに在る愛する兄弟たちよ、罪の中に死んでいた私たちを生かした贖いの愛の深さを忘れず、キリスト・イエスにあってともによみがえらせ、ともに天上に座らせるその愛の栄光の高さを見失わないようにしよう。

また、次のことも心に留めておこう。

キリストのためだけに歩むという考えは、奴隷の精神に向かいがちで、結果的に神との隔たりを感じやすい。
一方、キリストに在って歩むことは信仰の正当な領域の中にあり、聖く謙遜で幸せな、受け入れられる奉仕を伴うことになる。

「主の小さき者たちのためのパン層」


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