2020年9月23日(水)の手紙

2020年9月23日(水)


『しかし 主よ 私はあなたに信頼します。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。』詩篇31篇14節~15節


足場は建物のためのものであり、私たちが地上で過ごす歳月は足場である。

クリスチャンよ、あなたは足場の内側に何を建てているのか。
足場が取り外されるとき、どのような建造物が現れるのだろうか。

歳月が与えられている目的は何か。
それは、永遠が取り去ることのできないもの、キリストにあって神の愛の上に築かれ、キリストの似姿にかたどった性格を私たちに与えるためだ。

「人の主要な目的は、神に栄光を帰し、永遠に神を喜ぶことである」〔と、私たちは言われている〕。
あなたの人生は、あなたがそのことを行う助けとなってきただろうか。

そうであるなら、たとえあなたが子どもにすぎなくても、天寿を全うしている。
そうでないなら、たとえ髪が九十年の齢を重ねて雪のように白くなっていても、まだ不完全で未熟である。

人生の偉大なる目的は、私たちをキリストのような者とし、キリストに喜ばれる者とすることだ。

もし私たちの人生がそのようになっているなら、私たちは人生から最高のものを得ており、日数がどうであれ、人生は完成されている。

人生の完全さを決定するものは量ではなく、質である。

アレクサンダー・マクラレン


何であれ物事を的確に行うには、時間と心の集中が必要である。

世界中で、神とともにいることほど的確なことはほかにはないが、束縛や退屈さからこれほど自由なものもない。
主とともにゆっくり行くことで、焦って進むよりも多くのことが成し遂げられる。
私たちのしていることははるかによいことであり、実行されずにはおかれないからだ。

よりよい精神で、より深い動機によって行われることで、はるか将来まで実を結ぶ。
そのとき、一時的に急成長した業瀬は、すべて永遠に消し去られてしまう。

G・B・W


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