2020年8月29日(土)の手紙

2020年8月29日(土)


『パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るのではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」』ルカの福音書17章20節~21節


神は特にご自分の民の心の中に、聖霊によって臨在しておられる。
まさしくクリスチャンの心は真の神殿であり、それはひな型や影として、天そのものである。
神がご自分のしもべたちの心の中に君臨しておられ、そこに王国があるからだ。

恵みの力は、神のすべての敵を征服してきた。
神の御力があるからだ。

神のしもべたちは昼も夜も主に仕え、感謝と賛美をささげる。
それは神の栄光である。

このことは神殿における神への信仰と礼拝である。
神殿そのものが人の心である。

キリストは大祭司であり、人の心から祈りという香を上に送って、それらの祈りをご自身のとりなしに加え、すべて一緒に、父なる神に提示してくださる。

聖霊は人の心の中に住むことによって、同じくその心を聖別して神殿とする。
そして神は私たちの信仰によって、キリストはご自身の霊によって、聖霊はその清廉さによって、私たちの心に住まわれる。

だから私たちは、神秘的な三位一体の部屋でもある。

これは天そのものには足りないが、幼児が大人には足りず、文字が単語には足りないのと同じである。
いのちとしては同じ状態であっても、年代としては同じ状態ではない。

それは鏡の中の天であって、暗くはあっても真実であり、神の特別な臨在が実際に存在することによって、たましいの美しさと神の恵み、神の永遠の栄光の姿が映し出されている。

ジェレミー・テーラー


キリストと親しく永遠を生きることは、世界と引き換えにする価値がある。

J・G・ベレット


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