2020年8月1日(土)の手紙

2020年8月1日(土)


『あの方のすべてがいとしい。』雅歌5章16節


もしも私たちが、先に私たちを愛してご自分を与えてくださったお方を愛さないなら、いったい誰を愛するべきなのか。

もしも栄光を与えられた私たちと御使いたちの至福が、神の御子に出会い賛美することにあるのなら、罪人たちの友を愛し、信じゆだね、ほめたたえることは、まだ完全にされていないクリスチャンの幸せの主要な構成要素であるに違いない。

ソロモンは雅歌を著したとき、恵みの体験を意気揚々と鮮やかに描写し、「あの方のすべてがいとしい」と明言している。
他の対象なら過大評価され、高く評価されすぎているかもしれないが、キリストのすばらしさは極めて卓越しており、無限なので、今もそして永遠に、ご自分が愛される以上に愛に満ちた「いとしい」お方なのである。

それでも、聖徒たちや御使いたちの示すことのできる愛が、救い主に当然与えられるべきものにはとうてい達せず、これからもずっとそうだとしても、少しでも救い主を愛することは、たとえどれほど弱々しいやり方であっても、どれほど程度の低いものであっても、祝福された特権なのである。

少しでも主を愛する者は、主をもっと愛したいと願う。
そしていつの世までも永遠に、天においてもっともっと主を愛するのだ。

天では彼らはキリストに似た者になり、キリストをありのままに見るからである。

オーガスタス・トップレディー


私は、かつてなかったほどキリストを見ていると思う。
しかしそれでも、見ることのできるもののほんのわずかしか見ていない。

サミュエル・ラザフォード


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