2020年7月31日(金)の手紙

2020年7月31日(金)


『私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。』ペテロの手紙第一1章3節~5節


ああ、信仰者たちが自らの暗い肉的な経験から救い出されて、神とその働きにもっと単純により頼むことができたなら!

確かに、この聖句が語っているようにキリストによって自分たちのものとなるすべての恵みの富について語ることを学んできた者は比較的少ない。

この富は、かけがえのない一連の豊かな宝石ではないのか。
そして誰の宝石なのか。
間違いなく、すべての信仰者の資産なのだ!

それでもほとんどの者はそのことを知らない。
まるで自分たちのものは何もないかのような疑問や疑いがあまりにも多すぎる。
どうしてそうなるのだろう。

それは、神が彼らの所有物および防衛手段として行ってくださったことを受け取るかわりに、自分たちの内に証拠や感情を探すと言ってゆずらないからだ。

実際は、彼らが求めているのは不信仰と罪深い人間に属する経験である。
そのせいで、恵みの中に堅固な基盤を築くことは決してない。

祝福された真理は、イエスの復活はこれらすべての祝福と栄光とに対する生ける望みを私たちに再び生じさせたことである。

どうか、これが本当のことで、神にあって永遠に真実であると知ることが、私たちを完全な自由と聖き喜びとに導いてくれるように。

なぜなら、このことは私たちの暗い心を光と平安と喜びの場所へ導き、私たちが喜びの唄を歌い、力を得て(主を喜ぶことは主の民の力だから)前進し、神のみこころを行えるようにするからである。

ジョージ・V・ウィグラム


神の御子に結びつくとは何を意味するのか、この結びつきによって自分は何をもつのか、を人が理解しはじめたとき、自分の霊的な成長は経験にかかっているというよりも、むしろ真理を明確に理解することにかかっている、とすぐに気づくだろう。

ただし、この真理をほんとうに自分のものにしている者たちは、主との日々の経験を必ず享受している。

L・L・レットガーズ


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