2020年7月30日(木)の手紙

2020年7月30日(木)


『あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。』ルカの福音書11章11節~13節


霊的な生活に不安や落ち着かなさを感じている神の子どもたちは、たくさんいます。
それはすべて、神が本当に自分たちの父であることを理解していないからです。

神のことを、厳格な裁判官か厳しい工事監督、よくてもせいぜい、はるかかなたの玉座に座って、恐れおののく世界に対して厳しい律法を施行する近寄りがたい高官と考えています。

神の要求に応えられないのではないかと恐れて、どうしていいかほとんどわからずにいます。

優しく、愛情深く、あわれみに満ちた父なる神、父親のように全宇宙に反対して味方になってくださる神、ということは考えたこともないのです。

神が自分たちの父であることをたましいが知るようになると、不安と落ち着かなさを感じることはなくなります。
神は、最もとぎすまされた直感が、よい父親とはこうあるべきだと告げる、まさにそのような父であられるからです。

地上の父親は、時には薄情で暴君のようで自分勝手で、残酷でさえあります。
あるいは単に無関心で、子どもをほったらかしにすることも。

こうした者たちは誰ひとりとしてよい父親と呼ぶことはできません。
けれどもよい方であられる神は、よい父親であるに違いなく、そうでなかったらまったく父ではないのです。

ハンナ・ホワイトール・スミス


状況がどうにもならないとき、あなたの内にある恵みのしるしが衰え尽きているように見えるとき、誘惑がもっとも激しいとき、愛と喜びと希望が心の中でほとんど消え去ったようなとき、そのときは何も思わず、何も考えず、父なる神の誠実さの中で休もう。

神があなたを限りなく愛してくださり、今もあなたの内で忠実に働いてくださっているという事実に留まるのだ。
そして神を讃え、ヨブのこの言葉を自分に語ることで、敵を敗走させるのである。

「神が私を殺しても、私は神を待ち望もう」。

D・トライオン


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