2020年7月29日(水)の手紙

2020年7月29日(水)


『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。』ヨハネの手紙第一4章18節


神の血が、罪人の良心にこのような至高の効力を及ぼす方法の一つがこれだ。
すなわち、私たちの、他人に対する良心が傷つけられて、後悔と恐れでいっぱいになったときは、何をもってしても、人と人との間の傷を癒やし、平和を回復することはできない。

仲違いした当事者同士の間に愛が大きくわきあがること以外にはないのである。

しかし彼らの間に、もし愛が大きくわきあがってあふれ出るなら、失われた平和が回復するだけではなく、かつてはそうした敵だった者同士が、それ以後はこれまでなかったほどのよい友人になる。

そして和解の愛という同じ高貴な原理は、罪と救いの世界においてさらに効力を発揮するのである。

御子なる神の血は罪人たちに対する神の愛の現れだから、何ものもこれに反抗できない。
罪責感も後悔も恐怖も疑念も、どれ一つとして、神のひとり子の血における神の愛に逆らいつづけることはできないのである。

恐怖におののく私たちの良心を癒やすのは、私たちの救い主が私たちの負債を最後の一銭まで支払ってくださったことがすべてなのではない。
罪悪感のある良心をそれほどまでになだめ、征服し、平安を与えさえするのは、主の贖いの血ではないのだ。

贖いのうちに見られるように、それをすべて行えるのは神の愛だけである。

もしも神に対して、後悔や恐怖、和解できない思いや疑念があなたの良心の内にわずかでもまだあるとしたら、それは主の血にあなたのすべての罪を洗い流すだけの量と効力がないからではない。

あなたが、主の愛を受け入れられるだけ心を十分に広く深く開いていないからである。
愛には恐れがないのだから。

しかし、神の側のあなたに対する完全な愛は、あなたの側にそれに対応する神への愛を目覚めさせ、両方の側のそうした全き愛は恐れが生じる可能性を締め出す。

だから、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのである。

同労のクリスチャンよ、この偉大なる聖句を、罪の意識をもつすべての良心と堕落したすべての心とにお薦めする。
いろいろな機会に何度も、他のどの聖句も私の役に立ちそうになかったときに、この聖句が私にとって岩であり避け所であったからだ。

何度も繰り返し用いたこのみことばへの恐れが、同じくらい恐ろしい良心の非難と同じくらい恐ろしい心の絶望とを沈黙させたのである。

神の血は、私にとって内なる証拠であり、経験から得た証拠であり、すべてに申し分のない証拠である。
心からそれをあなたにお薦めする。

アレクサンダー・ホワイト


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