2020年7月16日(木)の手紙

2020年7月16日(木)


『私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。』使徒の働き24章16節


神との親交は、息をすることとよく似ています。
一度にほんの一瞬しか保てないからです。

敵にどんなにそそのかされても、後ろを振り返ったり、先の方に目をやったりすることは拒まなければなりません。
過去に対するむなしい後悔や未来への漠然とした恐れは、神とのつながりを壊すほどに私たちの心をさいなむからです。

心が一度に二つのことで占められることはありません。
ですから、無意識の状態でも神との親交の中にいつづけさせてくださると主に信頼する必要があります。
その一方で、「次のことを行う」中での自分の義務に対して十分に注意を払います。

けれども、もし自分が間違いを犯したと知っているなら、それを正すべきではないでしょうか。

神とのふれあいとは、主に相談することを意味します。
これを今すぐ行いましょう!

現状のすべての失敗、そして失敗のように見えることもすぐに主のところにもっていくのです。
主の前であなたの言い分を述べながら、主がしてほしいと望んでおられること、やり直させてくださる歩みをすべて示してくださるようお願いしましょう。

あなたがあやまちを犯した人について主が何かを示してくださったら、主のみことばは明白です。
「互いに罪を言い表し……なさい」。
この、神にだけでなく人に対する違反もなき良心は、壊れないつながりには必ず必要なものです。

もしも特別な光が与えられないなら、問題全体を主にお任せしましょう。
主は、ご自身の「栄光(臨在)があなたのしんがりとなる」と約束しておられます。

主はあなたの後ろに横たわるものと同じように、前にある歪んだものもすべて集めてまっすぐにすることがおできになります。
過去と未来は、主の支配下にあるからです。

ジェシー・ペン=ルイス


罪深い過去に対する後悔が続くのは、主イエスのうちにある私たちにとって、その罪深い過去はもはや存在しない、と心から信じるときまでである。

キリストを信じる者には主の過去しかなく、それは完全で、御父に受け入れられるものである。

アンドリュー・マーレー


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