2020年7月11日(土)の手紙

2020年7月11日(土)


『あなたがたが早く起き 遅く休み 労苦の糧を食べたとしても それはむなしい。実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。』詩篇127篇2節


ある朝、私はチェスの問題を解こうとしながら目を覚ました。
前の晩に頭を枕に載せるとき、心はそのことでいっぱいだったのである。

私は…… それ以来、キリストのことを考えながら眠りにつこうと決意した。

何か月かたつにつれて、これには単なる習慣以上のことが関わっていることに気がついた。
そこには私の心と頭の中に主イエス・キリストが存在し、人生の潜在意識に関わる要素まで支配しておられるという証拠があった。

次に、キリストのことを考えながら眠るだけではなく、キリストとのふれあいの中で眠るべきであることを学んだ。
夜、聖書のある節を暗記し、それを暗唱しながら眠りにつくようになった。

最初は、これらの真理は客観的なものにすぎなかった。
ある晩選んだ聖句は「その名は『不思議』と呼ばれる」であったりした。

最初のうちは、聴衆に向かって説明するような観点からこれについて思いめぐらしていた。
「その御名は不思議に満ちている」、「その御名はイエスという名、救い主の名である」、「この方がご自分の民をその罪からお救いになる」。

それから、主が私のやり方に変化をもたらしてくださった。
それらの同じ文章が、主とのつながりを表す人称や数、時制に変えられたのだ。

「あなたの御名は不思議に満ちています」
「あなたの御名はイエス」
「あなたは私の救い主」
「あなたは絶えず私を私の罪から救ってくださいます」

まもなく、主は私のまぶたの裏側よりも現実的な存在になった。
まぶたの裏は目の近くにあるが、見ることはできないからだ。
さわること以外のすべてのことにおいて、主を知ることを学んだ。
そしてキリストと一緒にいて目を閉じることは、眠れぬ夜のいっさいの恐れを取り去ってくれる。

ほかの人が柵を飛び越える羊の数を数えるというなら、それでいい。
私は羊飼いと語り合うのだから。

ドナルド・グレイ・バーンハウス


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