2020年7月10日(金)の手紙

2020年7月10日(金)


『そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。』ヨハネの福音書6章37節


降伏を測る物差しは、人間生活を測る物差しです。
それは内側にあるすべてのもの、霊、思い、心、意志、愛情を含みます。

外側にあるすべてのもの、家庭、子ども、所有物、職業を含みます。

同盟関係のあるすべてのもの、友情、時間、お金、楽しみ、人生計画を含むのです。

降伏の物差しは、私たちの過去と現在、未来を含みます。
過去の罪や悲しみ、あるいは自我について何を手放さずにきたとしても、一度限りの引き渡しによって、いっさいキリストの手に渡されます。

けれども中には、過去は明け渡すことができても現在をキリストの支配にゆだねるのは難しいという人もいます。
自分の立場を少しは残しておきたいという思いがあるのです。

またある人は、落胆や失望によって駆り立てられているので、過去と現在は明け渡すことはできるけれど、未来をすっかり主にお任せするのは怖いのです。
神が誠実なお方であると信頼できるのか、また自分はずっと神の絶対的な支配の下で生きたいと願っているのか、わからないからです。

ある会合で明け渡された生活についてメッセージをしていたとき、前の席に座っていた女性が、何か心配ごとのありそうな表情をしているのに気がつきました。

私が、「七月を神さまにお任せすることはできても、九月をおゆだねするのは怖いと思うことはありますよ」と言うと、彼女はぱっと顔を輝かせて微笑みました。
それは確かに、心に悩みのあることを物語っていました。

会のあとで、彼女はこう話してくれました。
主に九月をおゆだねすることについてのあの言葉にはっとしました。

私は今この場所でとても幸せでいられるはずなのに、九月にある手術を受けなければならないので、この美しい場所を半分しか楽しめていません。
九月のことを心配しているからです!」

降伏するからには、私たちは自分の中にある最良のものも最悪のものも差し出します。
中には、自分を神が受け入れてくださる、あるいは求めておられる、と信じるのがとても難しいという人がいます。
自分の人生にしつこく残る「最悪」があまりにも多くあるからです。

けれども「わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません」という招きは、罪を犯している聖徒にも、罪人に対するのと同じように確かに差し出されています。

恵みは私たちの人生の最初から最後までずっとあふれています。
ですから、何度同じ罪を繰り返そうとも、無条件で主に自分を任せるなら、主はいつでも受け入れてくださいます。

そしてイエス・キリストの血は、聖めのために課せられるどんな要求をも果たせるのです。

ルース・パクソン


私は自分自身と自分のすべてを神の手にゆだね、神はそのささげ物を受け入れてくださった。
これからは人生が今までと同じになるはずがない。

チャールズ・E・カウマン


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