2020年6月5日(金)の手紙

2020年6月5日(金)


『私たちは… 神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。』コリント人への手紙第二2章15節


キリストの大いなる祝福の香りは、その民の聖なる生活を通してあふれ出るだろう。
主ご自身がこの世を歩んで示されたすべての特性、すべての完璧さは、主のものである民の内に再生することができる。

たとえば、使徒の手紙の教えと勧告とを見てみよう。
そのどれもがキリストによって完全に実証されているものばかりだ。
このことを心に留めて、その教えと勧告を主ご自身に結びつけないかぎり、それらは律法的で困難な義務となってしまうだろう。

私たちの内におられるキリスト… コロサイ人への手紙で説かれているように私たちの「いのちであるキリスト」(コロサイ3.4)を信じ従うためには、聖霊の力によって私たちを通してキリストを現さなければならない。

このためには、主ともっと親交を深める必要がある。
なぜなら、主とともにいて主で心がいっぱいになればなるほど、私たちは「主と同じかたちに姿を変えられていき」、ますます確かに「芳しいキリストの香り」を放つからだ。

そしてこのことは、主がどういうお方であるかの力強い証しとなる。

この場合、主の御名は大いなる祝福として私たちを通して注ぎ出される。
キリストの御名の芳しい香りは、私たちの言葉同様、私たちの歩みによってもあふれ出るのである。

このことに深く思いを馳せながら、私たちはこう言おうではないか。
「ああ、キリストの大いなる祝福の香りを知らしめるために世の中に送り出されることは、主の御名が祝福として私たちを通して注ぎ出されることは、なんという特権!
なんという使命だろうか!」

エドワード・デネット


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