2020年6月23日(火)
『すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』ピリピ人への手紙4章7節
主の内住を意識しながら経験として知るためには、心の中が静かでなければなりません。
内側に争いや闘いがあると、主がおられることに気づけないのです。
たましいに葛藤があるときは主がそのたましいを見棄てておられる、という意味ではありません。
何千倍も『否』です!
主はソロモンとともにおられたのと同じように、真にダビデとともにおられました。
けれども、主のものとして家を建てるには、戦いの只中にいたダビピデという人ではなく、「穏やかな人」であるソロモンが求められたのです。
ひとえに申し上げたいのは、内面の戦争の只中にいるときは、主が私たちの内に住んでおられることには気づくことができない、ということです。
主の内住を意識的に経験するには、内側で静止して、いっさいの恐れと不安、無用な騒ぎと心配事に対し沈黙を保つとはどういうことかを知らなければならないのです。
ハンナ・ホワイトール・スミス
クリスチャンにとって、ひとりになることはきわめて重要である。
ひとりきりで退いた場所にのみ入ってこられるお方とのふれあいを、心が新たにするのはそのときだからだ。
世間から離れて完全に一人でいるとき、主は喜んで私たちを訪ねてくださる。
J・B・ストーニー
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