2020年6月20日(土)の手紙

2020年6月20日(土)


『彼が見ると、なんと、燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。』出エジプト記3章2節


「燃える」ことで「燃え尽きない」唯一のものは、私のたましいだ。
炎は私の身体にとっては死をもたらすが、私のたましいにとってはいのちをもたらす。

私の所有物が燃やされるとそれらは消失するが、私のたましいが燃えるとき、初めてそれは生きはじめる。
そのとき、私のたましいを燃やすのは、神のために燃えたいという熱望である。

私の熱意はあまりにもわずかなので、私にはあまりにもわずかないのちしかない。
世俗的な思いわずらいに心をさいなまれるのは、それを焼失させる火が私の心にないからだ。

私の力は自分自身に費やすことで浪費される。
私は自分が強くなるために、自分自身の今の状態から引っぱり上げてくれる何かを求めている。

私を引き上げられるものは、炎をおいてほかにはない。
心の火、すなわち愛だけである。

私の心に愛を燃え立たせることができさえすれば、最後の敵つまり死は打ち負かされるだろう。
愛は私の思いわずらいをすべて「燃え尽きさせ」、新たな力を与えてくれる。

私のまわりは荒野であるかもしれないが、私の「柴」はすばらしく輝かしいものとなるだろう。
それは荒野を行くすべての旅人が、はるかかなたからでも目にすることができる。

それは光となって、空を流れる雲に覆い隠されることもなく、飛ぶように過ぎる歳月に曇らされることもなく、時代を照らしつづけるのだ。

私の心は燃えることさえできれば、決して「燃え尽きる」ことはないのである。

ジョージ・マゼソン


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