2020年6月11日(木)の手紙

2020年6月11日(木)


『あなたの立っている場所は聖なる地である。』出エジプト記3章5節


ある日、親しいクリスチャンの友人と話していてこう訊かれた。

「きみはナットの砂山のことを聞いたことがあるかい?」
知らないと答えると友人はこんな話をしてくれた。

ナットは私たちの大切な友人で、建設業者だった。
川岸近くの彼の生まれ故郷には、たまたま大きな砂山があった。
誰が見てもそれは目ざわりで価値のない砂山だった。

だがナットは違った。
この砂山についての構想があった。
砂を売れば、トラック一台分ごとに一ドルになると見こんだのだ。
そして砂山がなくなったときには、平らになった土地はビジネス街にうってつけの地所となるだろう、と。

そこでナットはその砂山を買った。

噂が広まるにつれ、ナットの友人の多くは無価値な砂山を買うという考えを笑った。
ところが、それからすぐにナットの構想は実現しはじめた。
毎週毎週、彼は砂を売っては土地を平らにならした。

その後まもなく、砂はすべて売り尽され、土地は平らになった。
その敷地にはりっぱなビジネス街が建設された。
その年が終わるまでに、町のかなりの数の卸売業者がそのプロックに移ってきた。
その後まもなくして用地は完売し、ナットはこの事業で多額の金を手にしたのである。

友よ、あなたの人生は世に知られず、これといった才能もなく、あなたの目にはあの砂山のように見えるかもしれない。

だがもし日々の生活において、あなたが「立っている場所」を「聖なる地」として扱い、その生活を神にささげるなら、神はそれを、永遠に神の栄光を讃えつづける美しい建造物としてくださるのである。

ジェームズ・マッコンキー
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神の御手は、ダビデの「石投げと石一つ」や、サムソンの「ろばのあご骨」やギデオンの「壷」と「たいまつ」しかなくても、神のみわざを行うことができる。

そして神の御霊は、一つのことば、一つのまなざし、一つのうめきを用いてでも、たましいに対して神のみわざを行うことができるのである。

J・G・ベレット
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私は自分のたましいを一枚の白紙のように、私の贖い主イエス・キリストの手にゆだねて、主の喜ばれる、みこころにかなったものを書いていただきたいと願った。
それが主ご自身の姿であることを、私は知っている。

ジョージ・ホイットフィールド


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