2020年5月4日(月)の手紙

2020年5月4日(月)


『主よ あなたのみことばは とこしえから天において定まっています。』詩篇119篇89節


クリスチャンは、自分に反対する力が見えないわけでも気づかないわけでもない。
ちゃんと見えているし、知っているし、その広大さ巨大さも十分にわかっている。

だが彼は、神を見上げているのだ。
神が全能であり、神に反対しうるすべての力よりも偉大である、という事実を受け入れているのだ。

キリストによって神が私たちに与えてくださったものを奪おうと狙っているのは、現代の実利主義者ではないか。
私たちは、「とこしえから、天において定まって」いる神のみことばに心を向ける。
何ものもそれを変えることはできない。

私たちは、みことばを手放させようと強いる敵の策略や力がどれほど強くとも、それを固く握りしめている。

私たちが天でいただく報酬は敵の攻撃の的であり、私たちがそれを手放し、この世のレベルまで堕落することを狙っている。
つまり、私たちが世俗的になるあまり、実利主義者の下僕同然となり、神にとって何の役にも立たないものとなることを狙っているのだ。

クリスチャンが世俗的になればなるほど神の役に立てなくなるのは、まったくそのとおりである。

それは今日の私たちについてもそうであるはずだ。
私たちは、神が何か特別な方法で私たちのために働かれることや、周囲の人々を救い祝福するために私たちを用いてくださる、と期待しているだろうか。

私たちの両側には、私たちの邪魔をする険しい岩々がある。
乗り越えなければならない困難であり、打ち勝たねばならない妨害物だ。

サタンはどうやってそれを積み上げ、鋭く切りつけるものとするかをよく知っている。

私たちが勝利を手に入れるためには、それを乗り越えなければならない。
それを越えるためには、おのれをゆだねる場所において、従順に従う道において、あたかも這うように神の前に身を低くするしかない。

おのれが無であり、無力で無価値であること、神が全能であることを認め告白して、すべての栄光が神のものとなるようにすることによってのみ、それを乗り越えられるのである。

その場所と状態に到達したとき、私たちは神が働いてくださる余地を差し出すことができる。
そして神は私たちを捕らえ、他の人々を祝福するために私たちを用いてくださる。

兄弟姉妹たちよ、私たちは祈るクリスチャンとならねばならないのだ。

ウィリアム・イーストン


私たちが神の祝福にあずかったとたん、サタンはそれを私たちから奪おうと画策する。

著者不明


「あなたの目が健やかなら全身が明るくなります」。

もしあなたがそうであれば、あなたの道には必ず光がある。
これから十年先のための光ではなく、あなたの目の前のこの一歩、そして次の一歩のための光である。

ジョン・ダービー


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