2020年5月26日(火)の手紙

2020年5月26日(火)


『神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくだきいました。』テモテへの手紙第一2章5節~6節


ああ、救い主イエスよ!
どれほど褒めたたえても足らぬ、我らの主よ!

主は、卑しき私たちに御手を置くために身をかがめ、私たちが恐れることのないように愛をこめて、優しくその手を置かれた。

私たちは、主の御手の内に在ることに何の恐れもなく、ひるんで主を避けることもない。
主は、ひとりの人間となって私たちに触れ、愛の緋で私たちを結びつけてくださった。

主は神に何ら劣ることはなく、神は主を通して私たちに触れてくださった。
主は片方の手を私たちの上に置き、もう片方の手を神の御座に置かれた。
主は「唯一の仲介者」であられるからだ。

片方の手で義を求める神の要求を完全に満たし、もう片方の手で私たちに全き恵みを授けてくださる。
私たちを神のもとに導いて、私たちが恐れることなく、永遠なる平安の内に、神の御前にいられるようにしてくださっている。

それは神の義という不変で不動な土台の上に築かれた平安であり、神の永遠の栄光のためにイエスという神聖な人間によって、私たちのためにゆるぎなくされたものだ。

こうして私たちは罪を赦され、神の前に義とされた。
私たちのすべての恐れは取り除かれ、我が身に置かれた御手に目をやり、それが傷ついた手であるという事実を心に留める自由を与えられている。

その手は、神のさばきの対象であった私たちを救うために、私たちの罪を負って、私たちの代わりに釘で刺し貫かれた手なのである。

私たちはこの手の力も知っている。
この手は私たちのために死を滅ぼし、永遠に私たちから離れることはない。

主が今や天の国の人となられたので、私たちもそこへ行く。
「多くの兄弟たちの中で御子が長子となる」ように、主の同胞である私たちも永遠に一つのものとして主と一体になる。

主は、ご自身が受け入れたその真の人間性を決して放棄されることはない。
そして主がそうであられるように、主のものである者たちもまた主のようになる。

神の目的は私たちが神ご自身の姿と同じものとなることである。
そして私たちがそうなっても、決して忘れてはならないのは、神は「とこしえにほめたたえられる方」であることだ。

J・T・モーソン


もしあなたがキリストの美しい特質のどれかを見て「私もそれを身につけたい」と言えば、神はあなたの内でそのようにしてくださるのだ。

ジョージ・V・ウィグラム


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