2020年5月21日(木)の手紙

2020年5月21日(木)


『しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。私たちがきばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下きれることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。』コリント人への手紙第一11章31節~32節


もしも自己修練を個人で続けていないのであれば、何かほかの方法で行っていかなければならない。
このようにしてクリスチャンはしばしば互いの杖となり、このようにして傷つけ、へりくだらせるわざが教会の中に公然ときわめて多く見られるようになる。

ソロモン王の神殿の石は、運ばれる前に石切り場で槌や斧で四角く切られ、完全に仕上げられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。

もしも私たちがひそかに修練を行っているなら、公の場で卑下させたり、さばいたりする必要も減るというものだ。
公の場で卑下させたり、さばいたりする行為には深い悲しみと恥辱がつきものだが、ひそかに行う自己修練には喜びと平安が伴うからだ。

『主の小さき者たちのためのパン層』


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