2020年5月2日(土)の手紙

2020年5月2日(土)


『自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。』ヤコブの手紙4章2節


真に祈ることは、真剣な注意と時間を必要とする。
これは「血肉のからだ」には味わえないものだ。
二流の品でも市場で十分通用するときに、高額な経費をかけようとする道義心をもった人はほとんどいない。

神とともに、わずかな時間しか過ごさないならば、神にとって、大した者にはならない。
神の満ち満ちた豊かさが人の霊性の中に流れこむためには、多くの時間がかかる。

デボーションが短くては神の豊かな流れのパイプを切断してしまう。
私たちの人生が貧弱なのは、祈りが乏しいからだ。

今は祈りの時代ではない。
祈る人はめったにいない。
せわしく慌ただしい昨今においては、人は祈るための時間を取ろうとしない。
祈りは時代遅れの、ほとんど失われた技術といえるだろう。

現代の信徒たちにどのように祈るかを教え、彼らを祈りにつかせることのできるキリストのような指導者はどこにいるのだろうか。
私たちは、自分たちが祈りのない信徒の一団を育てているのだ、ということをわかっているだろうか。

祈る指導者だけが、祈る信徒を導くことができる。
私たちが大いに必要としているのは、この祈る務めに信徒たちをつけることのできる者なのだ!

E・M・バウンズ


空中には美しい鳥がいて、天空にはきらめく星がある。
だがもしあなたが真珠を求めるなら、大海の深みにもぐって探しあてなければならない。

私たちの周りの世界には、美しいものがたくさんある。
しかし、真珠は海の底でしか見つけることができない。

もし私たちが霊的な真珠をもつことを願うなら、深い底までもぐっていかなければならないのだ。
すなわち、祈らなければならない。

瞑想と祈りの秘められた深淵まで沈んでいかなければならない。
そうして私たちは、貴い真珠をつかむのである。

サドゥー・スンダル・シン


あなたはキリストを知ることによってしか、神に請い願うことはできない。
これは本当だ!

ただキリストおひとりだけが経路となってくださるので、神の恵みをいただくことができる。
とりなしの力は、神の僕にとってこの上なくすばらしいものだ。

ジョージ・V・ウィグラム


a:88 t:2 y:1