2020年5月12日(火)の手紙

2020年5月12日(火)


『わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。』ヨハネの福音書10章28節


天の国への道は、地獄への道と同じく自由である。

地獄には告発者がいるが、天の国には有罪の宣告をする者はいない。
神の世界において、罪人をさばく権威のある唯一のお方は、今や「救い主として……上げられ」た。

その王座の驚異と畏れの内に、主は救い主として恵みの中に座しておられる。

救い主はやがては「さばき主」となるが、さばきは恵みに仕えるものである。
罪が支配し、死がその勝利を誇ることがあっても、恵みもまた、その勝利をおさめないだろうか。

人の罪が死をもたらしたのと同じく確実に、神の恵みは信じるすべての罪人に永遠のいのちをもたらす。
一つの罪が死をもたらしたが、恵みはすべての罪を制する。
罪が充満しようとも、恵みはそれよりはるかに豊かに満ちている。

恵みが征服者であり、恵みが支配する。
義の代価を払うことではなく、恵みの力によるのである。

義は罪人の死を要求するが、恵みはその罪人にいのちを与えるためにとりなす。
義そのものは、罪人がいのちを得られるように神の玉座に恵みを置いてきた。

「それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです」。

そのことこそが十字架の勝利である。
十字架は神が私たちを祝福することを可能にし、その祝福は神がどんなお方であるか、またご自身がどのようなお方であるか、ご自分で言明してこられたことのすべてと完全に一致する。

そしてそれは、私たちがどんな者であっても、神が示された私たちのあるべき姿とはかけ離れていても、祝福してくださることを可能にしたのである。

ロバート・アンダーソン卿


罪人を地獄に送るのは神ではない、それは罪人自身の罪だ。
神はすべての人が天の国に来ることを許しておられる。
まさしく誰もが天の国に入るように、熱く強く招いておられるのだ。

ところが罪人自身が、天の国に住まうことは責め苦だと感じている。
彼らが天の国に入るのを望まないのはこのためだ。

神は、彼らが天の国に入ることを困難にしているのでも、不可能にしているのでもない。
いや、永遠のいのちに何の喜びも見出せないようにしているのは、彼ら自身の内なる姿勢なのである。

サドゥー・スンダル・シン


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