2020年5月11日(月)の手紙

2020年5月11日(月)


『油よりも顔をつややかにするために。』詩篇104篇15節


聖霊は、私たちのいのちの中に実際に住んで内在するために、ご自分の生活様式を調整しておられる。
今度は私たちも、自分のあらゆる思いや熱望、行為において、聖霊が私たちの内に私たちの一部としておられるという事実に自分の生き方を適応させなければならない。

私たちの五感では聖霊は理解できないので、聖霊を知るという技術のために自分の霊的な能力を働かさなければならない。
聖霊の臨在を意識して生活しなければならないのだ。
聖霊の内住を一瞬一瞬、意識して生きることを、私たちの人生の務めとしなければならないのである。

では、聖霊の臨在を実際に経験するにはどうすればいいのだろうか。
神の恩恵を与えられる祈りなどの手段は、実にこの目的のために聖霊が定めて備えたものである。

神のみことばに向かうとき、私たちは自分の内におられる御霊にゆだねて、みことばの内の御霊に応えていただかなければならない。
こうして、私たちがみことばを読むとき、私たちのたましいは内住しておられる御霊を意識し理解するように奮い起こされるのだ。

愛の手紙を読むと、恋人のことがよくしのばれて私たちの心が満たされるように、みことばも主を渇望する心に同じように働くのである。

祈ることは、本質的に聖霊の臨在を実践することである。
真の祈りは神に語りかけることだ。
それは神に聴いていただくことを求める。

祈りをおろそかにしたり、単に何かを神から得るために用いたりしないと固く決意して、神とふれあう機会、神の御霊に応えるように私たちのたましいを訓練する機会、神の臨在を体験する機会として、新たにされた熱意をもって祈りをとらえる必要がある。

とりわけ日々の生活において、私たちは神の臨在を体験しなければならない。
私たちの生活は、内側に住んでおられる聖霊を外側に表すものでなければならない。

17世紀の修道士ブラザー・ローレンスの話は、多くの人によく知られている。
彼の生涯の特徴は、神の臨在を絶え間なく意識していたことにある。
彼の思いも熱望も、すべて自分の人生に神がおられる、という事実によって抑制されていた。

割り当てられた卑賤な厨房の仕事に従事しながら、日々のデボーションに没頭しているときと同じように、意識できるほど近しく強く主を見出していたのである。
神の臨在のそうした日々の実践によって、輝かしい生活が実現する。

信仰厚いインドへの宣教師ヘンリー・マーチンの日記には、こんな記述がある。
「私のいちばんの楽しみは、神の臨在を楽しむことだ」。

この事実は、ほかの人々にも何らかの形で明らかになっていただろうか。
インド北部カーンプルの先住民たちは、彼のことをこんなふうに言っていたものだ。
「あの人の顔には、神さまが輝いている」。

現代の私たちの生活において、一日のある部分を取り出すことは可能だし、必要でさえある。
勤め人なら仕事に出かける、母親は朝食を配膳する、学生は学校へと向かう時間だ。

こうした日々の行為を、主との意識的なふれあいへと心を高めるきっかけとし、特定の課題や困窮が予想されるときに、主の臨在と協力とを求めようではないか。
それ自体は単純なことだが、その実践は大きな霊的恩恵をもたらすのである。

ノーマン・B・ハリソン


神とともに一日を始めよ!
神はあなたの太陽であり、一日である!
あなたの黎明の輝きは神のものである。
あなたの一日を神にささげよ。

あなたの最初の歌を神に向かって歌え!
あなたの同胞に向けてではなく、
神の手になる被造物にでもなく、
栄光あるお方に向かって。

あなたの最初の歩みを神とともにせよ!
神にあなたとともに進んでいただくのだ。
川辺や海辺であろうと、山辺の道であろうと、
神が道連れとなってくださることを
求めつづけよ。

あなたの初めての取引は
上におられる神ご自身とのものとせよ。
そうすればあなたの事業は繁栄し、
あなたの一日はすべて愛に満ちたものとなる。

ホレイシャス・ボナー


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