2020年4月24日(金)の手紙

2020年4月24日(金)


『まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。』マタイの福音書6章33節


私はキリスト教に改宗後の二、三年は、常に具体的なものを求めてきた。
今は神を求めている。

ここに果物がいっぱい実った木があるとしよう。
あなたは木の持ち主のところに行って、実を買うなり、もらうなりしなければならない。
あなたは毎日、出かけていって一つか二つの実を買う必要がある。

だがもし、その木を自分の所有物にすることができたなら、その実はすべてあなたのものとなる。

同じように、もしも神があなたのものであるなら、天と地にあるもののすべてはあなたのものとなる。
神はあなたの御父であり、あなたにとってのすべてであるからだ。

そうでなかったら、あなたはまるで物乞いのように、ものをねだりに行かなければならない。
それを使いはたしてしまったら、再び行く必要がある。

だから贈り物を求めるのではなく、贈り物の贈り主を求め、いのちではなく、いのちの贈り主を求めるのだ。
そうすれば、いのちと、いのちのために必要なものがあなたに加えられるだろう。

サドゥー・スンダル・シン


かつて私が欲していたのは恵みだったが、
今は主ご自身である。

かつて私が求めていたのは自分の感情だったが、
今はみことばである。

かつて私が欲していたのは主の贈り物だったが、
今は贈り主ご自身である。

かつて私が求めていたのは癒やしだったが、
今はただ、主ご自身だけである。

W・M・ターンブル


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