2020年4月22日(水)の手紙

2020年4月22日(水)


『入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であった。それらは、神がノアに命じられたとおりに入った。それから、主は彼のうしろの戸を閉ざされた。』創世記7章16節


神はノアに対してなさったのと同じように、私たちを主ご自身の血による契約によって、よりよい祝福の場所に入れて、完全に「うしろの戸を閉ざ」してくださっている!

だから、もはや罪のための供え物はいらない。
クリスチャンの罪と不正はすべて赦しが与えられているからだ。

だが恵みはこれだけにとどまらない。
赦しを知っていることで、その人は神のために取り分けられているのだ。
あたかも神がこうおっしゃっているかのように。

「あなたが聖められ、受け入れられるために、あなたはこれ以上何も求める必要がない。
流された血であるわたしは、あなたが受け入れられるために必要なすべてなのだ。
わたしによって、あなたは永遠に完全なものとされている。

行け、自分自身のことを考えることから離れよ。
行け、行って神に仕えよ。
あなたは主に対して取り分けられた者、主のために完全にされた者だからだ。
主をあなたの学びとし、喜びとし、あなたが行うこと、思うこと、言うことのすべてにおける目的とせよ」。

ジョージ・V・ウィグラム


主イエスがともに歩んでくださることで満ち足りて、すべてのことに心穏やかでいられるのはなんとすばらしいことだろう。

私はかつて自分がこう思っていたことを覚えている。
もしも「私はわざわいを恐れません」、「私の心は主に信頼し、揺るぐこと」がありませんと言うことができたなら、きっと想像もつかぬほど幸せに違いないと。

この状態に到達するためには主のことを十分に知らなければならず、そのほかには何もいらない。
すべてを完全にゆだねきるまでは、その人の価値を立証することは決してできないからだ。

J・B・ストーニー


私たちの愛するものに、私たちはしだいに似てくる。

クレルボーのベルナルドゥス


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