2020年4月15日(水)の手紙

2020年4月15日(水)


『それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。ですから、目を覚ましていなさい。家の主人がいつ帰って来るのか、タ方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。』マルコの福音書13章33節~37節


この聖句は、二つの重要な点に注目すべきだ。
「目を覚ましている」ことはしもべの姿勢であるが、「仕事をする」ことはしもべの特性である。

主が「しもべたちそれぞれに、仕事を割り当て」たことに目を留めると心が躍る。
主を愛する者すべてに部屋があって、場所があって、仕事があるのだ。

ただの一人として、ほかの人と同じ仕事をする者はなく、それぞれに割り当てられた仕事を他の誰かが実際に行うことはできない。
それだから、自分の仕事を知り、その仕事から離れないことが最も重要なのである。

もしも私たち一人ひとりがこの重要な神の原理を本当に把握していたなら、主のみわざをどれほど促進できるだろうか!

それは・・・残念なことに!主のしもべたちの間にしばしば現れて主のみわざを妨げる狭量な嫉妬心に対して、何とすばらしい解決法となることだろう。

そのたましいの歴史において、次のように言える瞬間はなんと幸せなときであることか。
「私には、主が行うように定めてくださったちょっとした仕事がある。
私には、ほかの誰かのちょっとした仕事はできないし、ほかの誰も、私のちょっとした仕事はできない」。

奉仕に対する勤勉さや責任とともに、この「目を覚ましていなさい」という心の呼びかけが縒り合わせられているのはなんと幸いなことだろう。

恵み深い主よ、私たちが一人残らず、あなたの「帰って来る」ときに備えてずっと目を覚ましていられるように助けてください。
そしてあなたが帰って来られるまで、あなたの刈入れの畑で倦まず働くことができますように!

W・T・P・ウォルストン


私たちは、神のお役に立てる機会が訪れるのを『目を覚まして」待ちつづけようではないか。

目も耳も開いて世界を歩きまわり、よいことを行うあらゆる機会をとらえていつでも役立てるようにしよう。
自分が役に立つまでは満足しないで、このことを私たちの生活の主要な大望と宿願にしようではないか。

チャールズ・スポルジョン


起きなさい!
今日という日が過ぎつつあるのに、
あなたはまだ横たわって夢を見ている。

ほかの人たちは武具を身に着け、
戦いに出たというのに。

戦列における持ち場があなたを待っている。
どの人にもそれぞれ果たす役割があるのだから。
過去も未来も無でしかない、
厳しい今日を目の前にしては。

自分の未来の夢から目を覚ましなさい、
織烈な闘いに勝利することから、
空にそびえ立つ城塞を襲撃することから、
巨人に降伏するように命じることから・・・。

あなたの未来には栄光と名誉の功績がある
(神よ、願わくはそうなりますように!)

けれど今日ほど、あなたの腕が強くなることも、必要とされることも決してないでしょう。

アデレード・アン・プロクター


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