2020年3月21日(土)の手紙

2020年3月21日(土)


『機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。』エペソ人への手紙5章16節


すべてのクリスチャンは、瞑想のために与えられる一定の自由な時間をきわめて必要としている。
ちょっとした時間をさくことで最高の宝を手に入れられることを知って、そうした時間をうまく見つけ出そう。

朝の時間を確保して、「包囲された町のように」それを守る!
すべての侵入者に対して強固に防御し、敵の塹壕を一掃して、神とともに閉じこもるのだ!
午後も霊的な呼吸をしないままに過ぎてしまうには長すぎる時間帯である。

瞑想は、高慢や批判的な精神、逸脱した想像、他人にいらいらする、快楽を愛するといったすべての悪弊に対する偉大な矯正法である。
それはすばらしい治療法だが、頻繁に繰り返す必要がある。
絶えずねじを巻かなければならない高価な時計のようなものだ。

ほかにも提案がある。
以前に感動した本を読み返すといい。
感動し直して、最初に読んだときよりずっと得るところが大きい。

また、自分に対して忍耐強くあること。
誤った自己満足も落胆も、どちらも避けることだ。
これは実行するのに難しい場合が多い。
人は自分自身やおのれの善意について、自己満足するか、あるいは絶望しきってしまうかのどちらかだからだ。

自分には何も期待せず、神にすべてのことを期待しなさい。
自分自身の救いがたい弱さを知ることは、神の力に無条件の信頼を置くことと相まって、すべての霊的生活の真の基盤となる。

もしも自分の自由になる時間があまりないなら、その時間の一瞬一瞬を有効に使うことだ。
神を愛し、神の臨在への意識を一新し、神に向かって心を高揚させ、神をあがめ、私たちの行いや担っているものをすべてを神にささげるためには、それほど長い時間はかからない。

これは私たちの内にある真の神の国であり、何ものもこれを妨げることはできないからだ。

フランソワ・フェヌロン


私たちは、休むときも遊ぶときも眠っているときも、病気や、身体の不自由なときも、それが私たちへの神のみこころであるなら、直接神に仕えているときと同じように霊的でいられる。

だから私たちが何をしていても、神と完全に一致し、神に喜ばれているという根底にある意識をずっと維持できるのである。

ルイス・スペリー・チェイファー


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